前回、松井秀喜選手の連続5敬遠事件があった年に受けた筑波研修について書いた。

この年になってその頃の事を思い出しているが、もう29年も前の事であった。

平成4年にこの筑波研修を受講したのだがここで出会った全国の仲間たちとの出会いは忘れられない。しかし、次の年の平成5年度に私は教育現場から離れ、社会教育施設の職員として派遣されることになった。結果として私は岩手県にある二つの青少年の家という施設に連続6年間勤務することになったのだが今にして思えば本当に貴重な体験の日々であった。

そして、教員ではなく社会教育主事という資格が必要となったのである。

その資格を取るために平成6年の2月から40日間の講習にまたしても東京に出張となった。

今回はその講習での出会いについて書いてみたい。

この頃はちょうど千葉県の松戸にあった国の宿泊施設が修復工事中であったので、全国からの参加者は上野の近くのウイークリーマンションが貸切られてそこで宿泊することになった。

私はこの頃40代の後半に近かったため、参加者の中では最年長に近い年齢であった。

この社会教育主事講習は年に複数行われていて、夏休み中に行われるものが東北ではあったが、社会教育の最前線に勤務していた私は夏休みは、かき入れ時だったのでその期間の講習には参加できず東京で行われる最後の講習に参加することになったのである。

この期間の参加者は全国の市町村の職員が多く、20~30代の若者が中心であった。

行政職の中でこの社会教育主事という資格を持てば広く社会教育にも参加できるので結構、意欲があり選ばれた若者たちが多かった。

連日の講習が終われば彼ら若者たちとの交流が始まり、沖縄から北海道までの若者たちと友情を育むことが出来た。

私は正に長老として彼らからちょっと持ち上げられていたので満更でもない気分であった。

近くには国立図書館の分館や東京芸術大学もあり、昼食は芸大の食堂でちゃっかり、頂くことが多かった。

ここで出会った若者たちも今では、ほとんどが、もう現役を終わっているのだが

複数の人達と今でも年賀状のやり取りが続いている。

さて、この講習も最後は卒業論文ならぬ、まとめの論文の提出があり、

それは直筆では不可という事であった。

その為、私は初めてワープロを購入して持参した。

全く初めてのワープロの機械の操作が大変だったが彼ら若者たちに教えられて

何とかその最終論文もワープロで作成し、提出することが出来た。

さて、いろいろな思い出があるがその講習の期間の中間あたりに

房総半島にある千葉県の社会教育施設に全員が宿泊して次の日に大運動会が行われた。

社会教育の現場ではレクリエーションの指導が欠かせないのでこうした実践は必要であったのである。全国から集まった100名ほどの参加者は4組に分けられ、

いろんなバラエティーに富んだゲームを戦うことになった。

偶然参加者の中で女性は4名であったので各組の女王様として彼女たちは祭り上げられ、我々野郎共は各女王様の忠実な配下となったのである。

私の組の女王様になったのは北海道のサロマ湖近くの役場から来たうら若い美人であった。今にして思えばとても幸運であったと言えるが、私も長老様だったから楽しい時間を過ごすことが出来た事が思い出になっている。

さて、いろんなゲームが行われたが、私にとって忘れられない幸運な時間があった。

私のチームは各ゲームで得点を挙げてはいたが1位にはあと少しという流れであった。

そして最後のゲームがなんとピンポンの面白いゲームであったのである。

それは4組あったチームから15名がそのゲームに参加し、ピンポンのラケットを持って一列縦隊に並び、前の人から一本づつ打ち合うゲームであった。

失敗した人はその列から離脱し最後まで残った人数で勝敗が決まるというものであった。

失敗は1本で交代するのだがなんと45歳以上の者は2本まで失敗が許されるというルールであった。このゲームの名はなんと「世界卓球選手権」というから大したものである。

4チームだったので準決勝から始まり最後の決勝戦で勝利すると凄いボーナス特典があるというので全てのチームが血相を変えてこの戦いに取り掛かったのである。

私も参加したのだがその時の年齢が46歳くらいだったので2回のミスまで許されたのである。

準決勝で私は1回ミスをしたがその後は一回もミスすることは無く、相手チームを全員倒して我がチームは決勝に進むことが出来た。

そして決勝戦・・・私は最後の15人目にいたが自分の前の選手が皆負けて私が最後の砦になった。相手はまだ十人近く残っていたのでもう、勝ったも同然の雰囲気であった。

ところが、私が前の年まで高校教員であり、しかも花巻北高校という卓球部の名門の顧問をしていたことを知る者はいなかった・・。ケケケ

結局、私は相手チームの10人を全員討ち果たし、我がチームは1位になったのである。

その瞬間、我がチームのこの運動会での総合優勝も決まったのである。

我が女王様は大喜びで私にチュウをしてくれた・・。

 

その後、宿では私は彼らから「先生!」と呼ばれるようになり、

暫しの時間であったがこれ以上ない楽しい時間を過ごすこととなった事も忘れられない・・。