なぜか、ふるさと岩手の宮古の海を思い出した。

 そして、このブログで重茂漁協について書いたものを見直した。

西舘善平という優れた指導者の下で森と海を結びつける発想がこの地にあった事を述べた。

  

 しかし、それよりも強い発信力で、もう30年以上、全国にその存在が知られている

宮城県気仙沼市の唐桑町舞根(からくわちょう・もうね)の畠山重篤氏の活躍を思い出した。

森は海の恋人・・・このキャッチフレーズは素晴らしい・・・・・・・。

 この言葉に魅かれて、毎年6月に開かれる岩手県一関市の室根山での植樹祭は

平成元年から始まり、30年以上も続き、千人以上の人達が参加している。(現在は矢越山)

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さて、今回は次のブログをネットで見かけた事から始まる。以下はネットから・・

 ・・・・現在、NHKの朝の連続ドラマ おかえりモネに関しての素晴らしいブログである。

 

 おかえりモネ 森は海の恋人のこと 森川海空の連環の完成

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その後、広葉樹の植樹体験を行う。山と川と海の連携の話である。

 場面は展開して、モネの幼いころ、妹や祖父の藤竜也とともに、山の斜面で広葉樹の植林をするシーンとなる。海を見下ろす山の上に立ち、藤竜也が、モネと妹に、

海の牡蠣漁師が山に木を植える意味を語る。フラッシュバックするように短いコマの連続で、

小学生の頃、中学生の頃、そして高校生の時と、このシーンは繰り返される。

 モネと妹は、毎年繰り返し、植樹をしながら森と川と海の連関について聞かされて育った。

 こうなると、どこにも何も明示されていないけれども、

藤竜也演じる牡蠣養殖業の祖父とは、畠山重篤氏のことでしかない。

すなわち、「森は海の恋人」の運動の主唱者そのひとである。

畠山重篤氏の本拠とする舞根の海、唐桑の海は、言うまでもなく同時に大島(ドラマの設定上の亀島)の海でもある。

 百音(ももね)、愛称モネは、当然に、重篤氏の水産養殖場が立地する

唐桑町舞根(もうね)を連想させる。

 「森は海の恋人」という運動の名称は、気仙沼湾に注ぐ大川の上流域、

市の西北の山峡い二十一地区の歌人(同時に佳人である)熊谷龍子の歌

「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」

から真珠の珠のように産み落とされた言葉であるという。

 龍子氏の夫君は、新月ダム反対運動の事務局長を務めた熊谷博之氏である。

 この相思相愛の海と森は誰か、というのが「おかえりモネ」の隠された縦糸になるのかもしれない。

岩手県室根村(現一関市内。「森は海の恋人」の植樹祭が毎年開催される)か、いずれ気仙沼湾に注ぐ大川上流域に違いない。同じく北上山地のエリアである。その広葉樹の森に降った雨は、存分にフルボ酸鉄を溶かし込み、大島と唐桑のあいだの海にも流れ込む。そこで、植物プランクトンを育て、やがて牡蠣を育てる。美しい森の精は牡蠣の精となる。

 登米の森に降った雨は、大河北上川に流れ込み、南進し、やがて石巻の河口に至り、太平洋に注ぎ込む。(現在、北上川の本流とされる旧追波川の新北上川のことは、勝手ながら脇に置かせていただく)そこには、タネ牡蠣の一大産地、汽水湖の万石浦がある。実は、万石浦のタネ牡蠣こそ、三陸沿岸の牡蠣養殖の種苗である。登米の森の雨は、直接、気仙沼湾に流れ込むことはないが、大きく迂回した果てに、気仙沼の牡蠣漁家と再び出会うのである。

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今回、ネットでこのような知識と情報を得た事は望外の喜びであった。

このブログの発信者に最高の讃辞と敬意を表します。

朝の連続ドラマとしては、いまいち、その意味が分からない気がしていたが、その展開の中で海と山や川の関連が続いていたので、もしかしたら、畠山重篤さんや唐桑湾~カキの養殖などを連想していたが、このブログでズバリ、唐桑湾や更に舞根(これがモウネと読むとは・・)

そして、主人公モネの名前に結びつくとは・・・単なるネタバレのレベルではなかった・・・

                                    続く