この写真は私がこの県立大野高校を定年退職して10年後に私の盛岡san高時代の教え子であるこのSmati 氏がこの校長になった事を聞いて嬉しくて、5月の連休に久しぶりに大野高校を訪ね彼と親しく懇談した日の記念写真である。このSmati氏は教員としても大野高校に勤務し、多大な貢献をした人であった。校長室で彼が荒れていた当時の生徒達と如何に真剣に向き合い、貢献していたかを彼の撮影した映像で見せてもらった事が忘れられない。

さて、

 私が校長として初めて大野高校を訪れた時、校門で出会った最初の生徒が私をまだ校長とは知らないにもかかわらず、「お疲れ様です!」と爽やかに挨拶したのである。

 これには正直びっくりした。大野高校の校長として赴任する前の職場が宮古商業高校であったので、生徒達に面接指導で・・就職試験では絶対「ご苦労様」と言ってはいけない、必ず「お疲れ様です」というように指導していたので、だから、岩手県の最北の地にある学校の生徒が

「お疲れ様です!」と挨拶する事によけい、びっくりしたのである。

 ところが・・・・「まあ、こんな素晴らしい生徒も中にはいるのだ」と思いながら、

玄関に入るとまた、出会った生徒が同様に「お疲れ様です!」というのである。二度びっくりしたが、真実は全ての出合う生徒がこの挨拶をすることが事実であったのである。

 この爽やかな挨拶ができる生徒達はみんな明るく、素直で私が在籍した3年間、

問題行動(喫煙、万引き、暴力行為など・・)は皆無だった。

 しかし、私が赴任する4~5年前は正にあのスクールウォーズの世界であったことを聞いて三度、びっくりした。校舎内を荒れた生徒がバイクで乗り回したり、喫煙の常習者がのさばり、学校の入り口付近にはいつもパトカーが1~2台、待機していたという・・・。

 まさに地獄から天国に変身した学校としか言いようがなかった。

 だが、その理由やその経緯を在職の教職員に聞いても、誰もわからないというのである。

 そこで私はその時代に勤務していたこれぞと思う教員に焦点を絞り、

自分がその人の住む勤務地に出かけ、喫茶店などで当時の事情を聞き出した。

 その一人が冒頭のSmati氏であったのである。

 彼は、やはり、すごい実践をしていたのである。荒れる生徒達と心を割って話し合う機会を

作り、寝る暇もなく彼らと真剣に話し合い、コミュニケーションを取ったのである。

 不眠不休で戦う夫の姿を毎日見て、当時、小学校教員であった新妻の奥さんは

彼が過労死するのではないかと心配して毎日、日記を詳細に綴っていたともいう。

 そして、生徒達や保護者、地域の住民の皆さんと、とことん話し合い、素晴らしい学校づくりを目指したという。その結果がこの究極の挨拶であったという。

 

「お疲れ様です!」 大野高校を訪れた全ての人に、この挨拶をしよう!!

そして、これがすっかり定着したのである。

正に、最大の難局を乗り越えた事によって

この夢のような生徒集団に大野高校は生まれ変わったのである。

私はSmati先生や当時の勇気ある先生方に只々、尊敬の気持ちが湧くことを禁じ得なかった。

 さて、校長となって2か月が過ぎた6月、東京の同窓会総会に出席することになった。

旅立とうとする私に、学校の進路主任が「校長さん、東京に着いたら、2時間ほどの時間を取って、一つだけ、会社を訪問していただきたいのです」と言ってきたのである。

 それは西京信用金庫という金融機関であり、大野高校としては銀行関係としては

唯一の生徒の就職している有望企業であった。これを確保することが至上目的であった。

←今も健在の西京信用金庫

 東京に着いた私は真っ先に、この企業を訪ねた。受付で名刺を出すと立派な応接室に通され、人事部長という肩書の人が現れた。そこそこの挨拶を交わした後、

その部長さんは先ず「大野高校はどんな学校ですか?」と尋ねてきた。

わたしは即座に

大野高校の生徒は全員学校を訪れた方に爽やかに【お疲れ様です】と言える生徒です」と答えた。

 するとその部長さんは10秒位の間をおいて(この時間が長く感じられた・・・)

「 素晴らしい!今年も大野高校から推薦された生徒さんは必ず採用します!

と言ったのである。

 この事がどんなに凄いことか・・・私は大野に戻った翌月曜日の朝に体育館に全校生徒を集めて臨時の全校集会を開くようにと指示したのである。

 「何事か!」という怪訝な顔をしている生徒や教職員の前で私は先週末に東京の同窓会があり上京したことから話を初め、西京信用金庫という金融機関の部長さんに会って

大野高校の生徒は必ず採用します!」と約束が出来た事を話したのである。

 そして、その部長さんが決断したのは君たち生徒諸君が毎日さりげなく行っている

「お疲れ様です!」という挨拶なのだという事を強調した。

 この挨拶こそは最高のもてなしであり、来訪された人たちに対する敬意をこめた

最高の言葉なのだ!」という事を話したのである。

素直で明るい生徒達はこれに拍手で答えてくれた。

更に次の年から始めた青森県の六戸高校との生徒会交流会で生徒達が同校に到着した直後に電話があったのである。それは親友であり、青森県の偉大な卓球界の指導者であった桜田

氏からであった。彼とのことは前の卓球関係のブログで触れているが、この当時、青森県の六戸という戸につく地域にある県立六戸高校の校長さんになっていたのである。

 櫻田校長は「おい今、あんたの学校の生徒がうちの学校に到着したんだが、びっくりするような挨拶をするじゃないか!」と叫んだのである。

私は素っ気なく「ああ、、その挨拶はもう大分、前から普通に全校生がやってるんですよ!」と答えたが内心「シメタ」と思い、ニタリとしたものである。

 櫻田先生には大野高校の卓球部の指導も、お願いしたことがあった。

(当時大野高校は卓球部が高校総体に連続7回出場中であったので山形県酒田市で行われたインターハイで全国優勝させた偉大な指導者である同氏にお願いした所、快諾していただき、これまたインターハイで東奥女子高校を率いて全国制覇をおこなった吉田廣光先生も

ご一緒にご指導に来ていただいた経緯があった。(吉田先生はご逝去)

↑退職後全国ラージボール大会で優勝(女性はこれまた全日本卓球大会優勝者のSさん)

・・・大野高校卓球部はこの後、なんと20年連続インターハイ出場を記録した・・・。

櫻田さんはこうした生徒会どおしの交流も快く受けてくれていたのだがこの偉大な校長さんが驚くほどの挨拶であったのである。

 その交流会が終わって帰校した後の報告会で女性の生徒会長が最初の挨拶で

「私達大野高校で日常行っているこの挨拶は他県の学校と交流して初めて、大変すごいことである事がわかりました。 この「最高の伝統である『お疲れ様です』という挨拶を

これからも自信を持って行っていきましょう!」と言ったことも忘れられない・・・。

                                          続く