前のブログでスクールウォーズといえる最悪の環境を乗り越えて伏見工業校ラグビー部が

山口良治監督の下で全国ラグビー大会で優勝するまでの事がテレビ等で映像化され、

私を含めて、多くの日本人が感動を共有することになったことをふれた。

山口監督は現役で同高を指導しながら全国に講演に出かけてもいた。

さて

私がまだ、岩手県の現役の高校教員をしていた折、教育委員会関係の講習会に駆り出されたことがあった。真夏の期間に一週間ほどの日程でそれほど興味も起こらない実務研修がその内容であった。勿論冷房もない時代であり、休憩時間毎に洗面所に向かい、両腕をまくり上げて冷たい水と石鹸で顔や体を拭いてもなお噴き出す汗が止まらなかった。

研修が後半に差し掛かったある時間の担当が盛岡S高校で同僚であったY影先生であった。

当時は教育委員会の指導課長というえらい肩書がついていたが、旧知の方なのでその話の内容に関心を持って聞き入った。そして、その内容は本当に素晴しい内容であった。

Y影先生は実務的な話ではなくいきなり京都に出張した事とその内容を話し始めたのである。

丁度その頃、社会人としてかなりの実績を上げた方を岩手県の教育委員会の講習会にお招きしてご講演を戴くという事が予算に組み込まれたというのである。

そこでY影先生は熱血漢の血が騒ぎ、自らその講師を探そうとされたのである。

そこでこれしかないと思い至ったのが山口良治監督であったのである。

Y影先生は早速、午前中に京都の伏見工業高校に到着して山口先生との面会を求めた。

しかし、全国から引手あまたの山口先生はスケジュールが厳しい事

(特に陸奥岩手県が遠隔地である事など)を理由に丁重に断られたというのである。

Y影先生はかなり粘ったが、結局やむを得ないという形で山口先生に礼をして玄関を出た。

自分は昼食がまだであったことに気づき近くの食堂で軽く済ませたが、振り向くと学校のそばにはグラウンドがあり、ラグビーのゴールが見えた。

そこで再び校地に入り、そのグラウンド横のベンチに座って今回の不成功を苦笑しながら暫しの時間を過ごしていたという。それが何時間であったかは覚えていなかったが、

気が付くと放課後になり、ラグビー部員たちがグランドに出て練習を始めたという。

これは良い!とこれを見守っているとY影先生の存在に気が付いた女子マネージャーたちが

お茶などを差し出してくれたという。これは全国から訪れるファンに対する流れであったかも

知れないがY影先生は凄く感激して結局日暮れになって練習が終了するまで

そのグランドで時間を過ごしたという。

練習が終わり、監督が練習の終了を告げた時、ふと山口監督とY影先生の目があったという。

山口監督は親しげに近づいてきた。

「先ほどお会いした岩手県教育委員会の方ですね。今日はこの様に最後まで我々の練習を見守っていただきありがとうございます。」と語りかけてきたというのである。

Y影先生はそれに対して

「この練習を見せて頂き感激しました。これを目に焼き付けて岩手県に帰ることが出来ます・・。」と話したという・・

それから奇跡が起きた。

山口監督は「今日はこれからお帰りですか。もし、京都にお泊りになるのなら

私も時間が空いていますので今からどっかで一杯やりませんか・・・」

なんという奇跡!!!人と人との出会いの究極の瞬間であったという・・・。

ふたりはそれから意気投合し、京都の夜の街まで出かけて人生を語り合ったというのである。その場所はさて、次の映像でご想像頂けることでしょう・・・。

山口良治監督がこうして岩手県の地を踏みしめて岩手県民会館で素晴らしい講演をされるようになったことは言うまでもないことです。

残念なことは、私がそのお話を聞くことが出来なかった事だけです。

Y影先生のような素晴らしいことを誠実に実行して出会った人の心を開かせ結果として素晴らしい成果を実らせた人々に私は何人にも出会うことが出来た事・・それが最高の思いです。