私が、岩手県宮古市で二度目の学校勤務をしていた時のことである。
山田町にある陸中海岸青少年の家での3年間の勤務を入れれば、
下閉伊郡という地域では通算11年暮らしたのである。
さて、その11年目の春、(平成13年4月1日)私は校長の代理で
宮古養護学校(宮古恵風支援学校に校名変更)の入学式に出席した。
この年が同校での高等部が初めて開設され年であり、入学する子供達が
来賓の我々を会場の入り口で出迎えてくれた。
「こんにちは・・」とお互いに声をかけあって彼らの前を歩いていた時、
一人の男子生徒が私を指さして「陸中海岸青少年の家!」と呼んだのである。
びっくりしてその生徒を見ると嬉しそうにニコニコしながら手を振っているのである。
そして分かった・・・・。確かに彼と私は出会ったことがあったことを・・。
その5年ほど前に私は山田町にある陸中海岸青少年の家で3年間の勤務したことがあった。
その時は社会教育主事という身分で小学校5年生の子どもたちの野外活動研修の指導などが仕事の内容であった。
このブログでも以前に山田湾のhamaさんの実家のある大沢漁港の反対側の
大浦小学校の子供達の鯨山登山の引率をして頂上の祠で
幽霊滝伝説の怪談を聞かせて以来、彼らとすっかりおともだちになったことをふれた。
その頃、釜石地区から知的障害のある子供たちが研修に訪れたことがあった。
私達はその子供達を船越湾に連れて行って魚釣りをさせたり、
いろんな遊びをして一日楽しく時間を共有したことがあった。
楽しかったと・・・いう満足げな表情で彼らが帰っていったことが強く印象に残っていた。
我々としては精いっぱい、この子どもたちに楽しんでもらえるように心を尽くしたのである。
あれから5年ほどが過ぎての再会であったのだが、この男子生徒は
私が「陸中海岸青少年の家」の職員であった事を記憶していたことが分かったのである。
この時はただ、こんなに時間がたっても覚えていてくれた
その子供にただただ、感謝し感動する思いであった・・。
しかし、親友、ハマさんから聞いた話でビックリするようなことを知ったのである。
それは養護学校に入学する生徒のうち、自閉症の子の中でサヴァン症候群の人があり、
信じられないほどの記憶力に優れた人間がいることを知らされたのである。
私に5年ぶりに再会したその男子生徒はきっとその能力を持った人間であろうと
いうのがその道の専門家hamaさんの説明であり、
改めて深い感動と感激を味わった思い出がある。
今回、この事を書き始めたのはやはり
遠野物語のマヨヒガの説明の中で
「知的障害者には通常の人間が持っていない物を持っている」
と考えられていたとする項を見たからでもある。
こうして、ブログを書き始めた時、これまで、ばらばらであった記憶や知識が何故か繋がり、
インターネットを介してその事が更に深く結ぶついていく事を知って嬉しい時間が続いている。
次回はサヴァン症候群と呼ばれるその凄い能力の持ち主たちの事にふれたい。