インタビューwithキタイ花ん
左:河内慎太郎 右:植村康佑


高田:コンビ名の由来を教えていただいていいですか?


植村:レオポンってご存知ですか?


高田:確かライオンとヒョウを掛け合わせた動物でしたっけ?


植村:そうです。甲子園阪神パークに一匹のレオポンがいたんですけど、次々と亡くなっていきまして、最後に生き残ったレオポンの名前が『ジョニー』だったんです。


高田:『ジョニー』と『レオポン』の二つをくっつけたということなんですね。


河内:はい。お笑い界でもジョニーのように生き残っていきましょう、という意味合いも兼ねてつけました。


高田:ちなみにその阪神パークにいる『ジョニー』は、現在どうしているんでしょう?


河内:死んじゃったんです。ジョニーにあやかろうとしてたのに(笑)。


植村:ジョニーの命日と僕の誕生日は偶然一緒なんですけどね。まあ完全にこれは後づけです(笑)。


高田:お二人はNSCのご出身ですか?


河内:はい。32期生です。


高田:在学中にコンビを組まれたんでしょうか?


河内:NSC時代は別々のコンビを組んでいたんです。


高田:どちらからコンビを組もうというお誘いを?


河内:僕からでした。


植村:相方から「コンビ組まへんか?」と言われた時、僕は家でドラクエばっかりやってたんです。レベル30くらいまで上がっていて「ちゃんと活動せなあかんなあ」と思いながら惰性でドラクエやっていたのを覚えています。


河内:ちなみのその頃、僕はパワプロをやっていました(笑)。


高田:お二人ともゲームがお好きなんですね。


河内:大好きです。ネタ合わせの後は、必ず二人でゲームをして終わるというのが流れになっていますから。


植村:声を掛けてくれたタイミングが良かったんですね。このままやったら腐ってまうなあって思ってた時期でしたから、ほんならやってみようかって感じでした。


高田:NSC在学中から仲良くされていたんですか?


河内:それがほとんど話したことなかったんですよ。その頃、僕は『リップス』の山本ゆたかとコンビを組んでいたんですけど、仲のいいグループが自然とできちゃうので、その頃はあまり親しくなかったですね。


植村:たまに会ったらしゃべるぐらいでした。


高田:お互いの第一印象って覚えてらっしゃいますか?


河内:彫りが深いなあって思いました。


植村:確かにそうやけども。


高田:植村さんからご覧になった河内さんは?


植村:入学式の時なんですけど、教室に集められて「何か特技とかアピールできることあるか?」って先輩から質問されるんですよ。その時に河内が探偵をやっていたというエピソードをしゃべっていまして、「へえ、探偵なんや」って感心したのを覚えていますね。


高田:探偵はどれくらいされていたんですか?


河内:4年ほどです。


高田:探偵というのは、具体的にどういうことをされるんですか?


河内:浮気調査とか著名人をおいかけたりとか、そういうことですね。


植村:河内はなかなか変わった経歴を持っているんですよ。


河内:ほとんど小卒ですし。


高田:中卒、高卒という言葉はたまに聞くことがありますけど、小卒の方って珍しいですね。


河内:はい。正確に言うと中学校は3日だけ通いました。


高田:探偵に話を戻しますが、ずっと調査をされていたんですか?


河内:最初は営業をやらせてもらっていんです。でも調査の方が面白そうなので、そっちの方へ回してもらったんです。


高田:探偵はストレスが多い仕事なので、最初は胃に穴が開いたりするとか、聞いたことがあるんですけど、河内さんはどうでした?


河内:僕は図太いところがあるのか、そういうストレスはなかったですね。むしろ胃の膜が太くなったくらいです(笑)。かなり楽しいお仕事でした。


高田:営業に向いているということは、外交的な性格ということですか?


河内:営業って心理戦なんですよ。目的を達成するために、どう立ち回るかが重要なんです。なんか物凄いビジネストークになってますけど(笑)。


高田:探偵の前は何をされていたんですか?


河内:いろいろあるんですけど騎手をやっていたこともありました。


高田:期間は?


河内:一年ほどです。


高田:元々、競馬がお好きだったんですか?


河内:大好きでしたね。競馬のことばっかり考えて騎手になれたらいいなというのがあったんです。JRAの騎手試験っていうのは、良い中学校を卒業したくらいの学業レベルじゃないと受からないんです。JRAの騎手試験を受験したんですけど、残念ながら学科試験で落ちてしまったんです。


高田:学科以外はどうでしたか?


河内:体力測定で2位だったんです。それがあったんで「これいけるんちゃうか?」と思ったんです。僕の大好きな馬がいまして、その馬のカードの裏に書いてある牧場に思い切って電話を掛けたんです。単刀直入に「働きたいんです!」って言ったら「いいですよ」っていうお返事をもらい、そのまま北海道で働くことになりました。


高田:勇気って大事ですね。


河内:そうですね。そこから騎手になるまでの道のりはかなり長くなるので割愛しますが、馬乗りになれたのは競馬が大好きな僕にとっては純粋に嬉しかったですね。


高田:ご家族はお笑いをやられていることに関して、応援してくださっていますか?


植村:うちはそうでもないです。僕、お笑いをやる前は役者の養成所に通っていたんです。だから「役者の方が良かったんちゃう?」っていまだに言われますから。


高田:お笑いをやりたいと、お伝えした時の反応はいかがでしたか?


植村:僕、二年間ほど会社に勤めていたんですけど、そこがかなりブラック企業でして、母親や姉から「そんなとこ、はよ辞めてまい」って、言われていたんです。


高田:とうとうある日、会社を辞める日が訪れた?


植村:はい。ついに辞めるってなった時に「もう会社辞めるわ。辞めて芸人になる」って、二つのことを一回で伝えたんですね。だから家族は微妙な顔してましたけど、まあブラック企業を辞めるんならそれはそれでええかっていう感じでした。


高田:河内さんのご家族はどうですか?


河内:うちは母親は凄い理解者ですね。かなり仲が良いです。多分、いろんなことを乗り越えてきたのである種の『戦友』みたいな意識があるのかもしれないです。


高田:一緒に戦火を潜り抜けてきたみたいな感じなんですか?


河内:そうですね。この前もおかんと話をしている時に自分の死に際の話になったんです。僕が「死ぬ時は自殺って決めてる。自分の命は自分で絶つ」っていう“侍精神”みたいなことを説いていたら、おかんが「それは悲しい。あんたが死ぬのは確かに悲しい。でもそれを乗り越えることによって、私はもっと強くなれるような気がする」って言ってきたんですよ。


植村:いや、おかしいやろ。それ二人ともおかしいと思うわ。


河内:かなりぶっとんだおかんなんですよ。僕もたいがい変わっているって言われますけど、おかんも相当変わりものですね。

後編 へ続きます。下記 へ読み進めてください)