インタビューwithキタイ花ん
高田:お笑いの仕事を意識し始めたのはいつ頃からですか?


幸:小学校の高学年ぐらいの時は、考えていましたね。お笑いが好きでずっとお笑いの番組は見ていました。


彩:私も同じくらいの時に思いましたね。「あっいけるな!」って感じはありました。


高田:いけるなっていうのは、具体的にどういう事でしょう?


幸:宇宙のリズムの話をしてるんでしょうね。


高田:テレビ番組ではどんなのを見ていましたか?


幸:ダウンタウンさんが好きだったので、『ごっつええ感じ』はよく見ていました。


彩:物心付いてから見たのが『四時ですよ~だ』だったんですよ。だからダウンタウンさんの番組はよく見ていました。


高田:お笑い芸人を目指しだした小学校時代はどのように過ごされていましたか?


彩:よく覚えているのがですね。小学校の高学年で校舎の建て替えなんですけど、その後、学校へ行ったら気分が悪くてしかったなかったんです。日本でまだシックハウス症候群という言葉がなかった頃に、逸早くその症状に悩まされていましたね。


高田:それは幸さんも?


幸:はい、二人で「最近、学校行ったら何かしんどない?」ってよく話していました。それだけだったら良かったんですけど、私のクラスは最悪でして……。


高田:どう最悪だったんですか?


幸:一言で言うならば、“泥”のようなクラスでしたね。対照的に彩のクラスはスタイリッシュで都会的なクラスだったので、羨ましくてしかたなかったですね。


高田:小中高の中では、小学校が最悪でしたか?


幸:うーん。私は学校へ行って楽しかった思い出っていうのが、ほとんどないんですよね。


高田:どういったところに理由があると思いますか?


幸:残念ながら学校という所は、子どもがたくさん集まっているじゃないですか?


高田:それはまあ当然と言いますか、そういう場所ですからね。


幸:そうなんですけど、子どもが密集した時に起こる、“独特の子ども臭さ”というか臭みみたいなのが苦手でして。


高田:でもその時、ご自身も子どもですよね? 今でもその子どもの臭いっていうのは苦手なんですか?


幸:そうですね。今でもどこかの小学校の校舎に入っていったら、恐らく「オエッ」ってなるでしょうね。あとシックハウスのトラウマもありますしね。


彩: 学生時代の話で思い出したんですけど、私は帰国子女が苦手でした。


高田:それはどんな所が?


彩:ちょっとタメ口が過ぎるところとかね。あといきなりパーソナルスペースに侵入して来られるのもきついですね。


高田:彼らは、結構グイグイ来ますからね(笑)。お二人が漫才をやり始めたのはいつぐらいからですか?


彩:NSCに入ってからですね。


高田:お二人は双子でいらっしゃるわけですが、双子の女性漫才師って日本でもほとんどいないと思うんです。その辺りをアピールしていこうというお考えはなかったんですか?


幸:あまりそのメリットを感じませんでしたね。


彩:それよりも同じ格好して「私たち双子なんです」っていうのは、何だか小っ恥ずかしかったんで、そういうのはやりたくなかったです。


幸:自分たちが双子っていうのを、それほど面白い事だと感じていなかったのかもしれないですね。


彩:それに双子でタレントになろうとする女子っていうのは、往々にしてかわいくないですからね。あまり双子タレントで絶世の美女っていないでしょ?


高田:それについてはコメントを差し控えさせていただきます(笑)。


幸:兄弟を売りにしないというので言うと、いとしこいし先生たちを見習ってというのもあります。インタビュアーの人の「師匠方は兄弟で漫才をやっておられますけど、あまり兄弟とかおっしゃらないですね」という質問を受けて、いとしこいし先生が「そんなん言わんでええねん」てさらっと言わはったんです。それを聞いた時に格好いいなあと思いました。


彩:そこから私たちも双子とか兄弟とか、そんなんじゃなしに芸で勝負しようと思うようになりましたね。


高田:河井ゆずるさんとの『キタイ・ネットワークス』 (キタイ花んのネットラジオ)を聞かせてもらったんですけど、その中で漫才に対するこだわりを語っておられましたよね?


幸:やっぱり漫才師は格好よくないとダメだと思うんです。


幸:スーツを着た二人がマイクの前に出て、そしてしゃべって帰っていくっていうのがね、堪らなく格好いいですね。粋って言うんですかね。


彩:あと漫才師って『し』が付くじゃないですか、棋士(将棋指し)とかもそうなんですけど、やっぱり最後に『し』が入るのもいいですね。


高田:やっぱり『し』は大事ですか?


彩:『し』は何より大事ですね。

後編 に続きます)