近代以降の職住 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

近代産業の殖産興業は花形で士農工商からの新たな身分の士族(旧武士)と平民(旧農工商)が支えたという

 

 

日本に導入された新たな職業は士族から平民へと順次配分された、特に初期段階は綿・絹織物の繊維産業だったため女子の労働力で軽工業は賄えたという

 

士族の娘が英仏からの最新機械を操り、戦後民間航空機のスチュワーデス(客室乗務員)さながらの憧れの職種になったという

かたや従来の座繰方式の中小零細繊維工場は過酷で平民や新平民の女子の職種のままだった

 

いずれもおかげで男子は絹・綿製品の欧米・大陸への経済市場開拓と徴兵で富国強兵に邁進できたという

 

 

新平民(旧穢多非人)には近世からの特権職種があったものの、近代以降の新しい辛く苦しい汚い作業は新平民に割り振られることになったという

産業革命によって近世までの大多数の農民は戸主の家長を除き、徴兵という血税と殖産興業の工商業要員へとシフトしていった

 

生活に窮した新平民などの貧困層は安定した土地を求めてハワイや米西海岸や南米、そして満蒙開拓団として移住する者が多くいたという

 

満蒙朝経営の中心だった重化学工業開発で成長した新興財閥に関わった日本人も満州と朝鮮半島に移住し現地産業を興した

 

 

平民(農工商)は山林農地から平野を宅地開発して移住した、新平民は新たな領土を開拓するために海外へ進出した

明治後期には皆学が普及浸透拡大し、大正を経て大卒ホワイトカラーが急増したという、先進近代国家に倣い官僚・役人や専門職能の国家資格が導入され

 

平民は貴賤なくこれらの職業を担えることになった、男子普通選挙によって無産政党議員も誕生したという

 

しかし「職業に貴賤なし」とは裏腹に近世まであった身分と職業と居住地の連動相関は残り根強く戦後まで同和地区として存在した

 

 

平民が新たな殖産興業と農工商の一次・二次基幹産業を担い、新平民は基幹産業以外の高次サービス産業を担っていった

一方、開港後の相次ぐ戦争で大陸や朝鮮半島から中韓人の移住が増え穢多非人が住んでいた場所へと追いやられていったという

 

部落や同和地区と呼ばれ平民・新平民・中韓人混在で新たな職業に適合できない者は入れ替わりを繰り返し部落は成長していったという

 

新平民と中韓人との居住地争奪になった、日本に適合した中韓人は新たな居住地にも住め帰化して日本人に同化していったという

 

 

当時の日本の領土は朝鮮半島や満州・南洋諸島にまでおよび日本本土の新平民が満蒙開拓団として大陸や他の海外にも安住の居住地を求めて移住した時期と重なる

やがて終戦を迎え本土への帰国が始まった、大陸・朝鮮を夢見て移住していた新平民の帰国が始まった、中韓人の移住も認められたという

 

本土で終戦を迎えても現地ではしばらく混乱し秩序が乱れていたという、戦闘に巻き込まれた一般平民・新平民・中韓人犠牲者もいたという

シベリア抑留や北方四島・満州・半島に残留・拉致され帰国できず、平成の現在まで禍根が残っている

 


李氏朝鮮王朝時代の身分制度は厳しく終戦当時まで残っていたため日本への移住者は多かったという

 

韓国併合時代に日本名を許された朝鮮人は日本で人生をリセットして日本人に同化して生活できた

 

彼らには日本国内での適した職業や居住地が少なく日本平民の居住地に進出し現代の外国人居留地としてのコリアンタウンができた

日本の社会保障で生活が補償されたり高度経済成長期には多くの公営住宅が建設されあてがわれたという

 


近世は一握りの武士や公家じゃなければ殆どが農民とわずかな職人と商人だった、近代は一握りの華族や士族じゃなければ殆どが商人・職人と農民だった

 

戦後には華族も士族も消滅し職業選択の自由になった、しかしながら古代の賎民や近世までの穢多非人や

 

近代の新平民のような役割は全人口のわずか数%の人がどの時代もいたという

独占していた彼らの職種は現代では在日外国人が参入してきた

 

 

牛馬の肉を捌くのはむしろ西洋・中華料理の料理人が主流となり芸能は世襲になっている

戦後の芸能はテレビ媒体が中心となり芸能界と関連事業が新平民と在日外国人の寡占事業になった

彼らが住む場所は近世の外国人居留地の長崎出島の埋立地に始まり

 

開港貿易の湾岸地区や大坂湾と江戸湾の大規模な埋立雑居地で補ってきた

 

 

既存の日本国土には住む場所がなくなってきたからさらに湾岸エリアを埋立てタワーマンションが林立している