御茶ノ水駿河台 | 久蔵

久蔵

落語と歴史のブログ

神田から右手に湯島聖堂があり左手にはニコライ聖堂、神田川に架かるこの橋をこれら両側にある聖堂にちなんで聖橋と命名したらしい

 


橋の向こうは江戸の守護神の神田明神や朱子学以外を禁じた幕府直轄の昌平坂学問所があった江戸の象徴のような場所

橋のこちらは近代の象徴、明治のお雇い外国人が設計したニコライ堂や欧米の学制に倣って設立された百数十年もの歴史ある初期の私立大学が並ぶ

 

 

藩校や私塾・寺子屋も長い歴史があるという、幕府の将軍家や大名から下級武士や町人まで日本は世界でも稀に見る学問に好奇心旺盛な民族だったことが伺える

 

駿府城の大御所家康没後、家臣一族が江戸城周辺のこの丘一帯に移り住んだためこの地を駿河台と命名したらしい

 

 

現在、各種大学や専門学校や予備校、大学病院もある都内でも有数の学生街となっている

 

 

神保町には古本屋が集中し御茶ノ水駅前には楽器店も立ち並び学生にとっては快適な街

 

スポーツ用品店が建ち並んだのは私が大学生の頃、スキー・テニスブームで乱立した記憶がある

 

 

神田から秋葉原にかけては戦後の電子部品ジャンクのバラックの小さな電気屋さんの集まりだったらしいが

 

ラジオやハム・オーディオブームで電機街となった

 

 

パソコンブームで量販店が拡大し現在の様相はゲーム・アニメやアイドルまで日本が誇る国際的な文化発信地となってしまっている