芝浜 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

東京駅周辺は25日まで異国の宗教イベント商戦で盛り上がり、翌26日朝は高層ビル群の雰囲気が一斉に変わる


12月26日の朝


ツリーからしめ縄と門松が飾られ一気に空気が凛とする、前夜はサンタさんが昨夜は職人さんが大忙しだったのだろう

25日の夜

 

一日でも前後にズレたら間抜けにすら感じてしまうのが今の日本なのだろう、分刻みのスケジュール


26日の夜


サンタさんは一年中いてもいいし、しめ縄や門松は師走からならいつでも良いように想うが、ツリーと門松が一緒に飾られることはない

 

昨夜の東京駅

 

芝浜は現在の芝浦埠頭あたりになるのだろうか、財布が落ちているような場所があるか海岸通りを散策してみた

 

 

江戸時代後期、日本橋から品川までの湾岸地区の埋立事業は進めているものの海岸線には砂浜があったよう

 

小三治師匠の芝浜

 

芝浜は年末から正月にかけての冬の演目で、魚河岸で鮮魚を仕入れ御店に卸す商売をしている夫婦の噺

 

 

増上寺の時の鐘が聴こえ神田・日本橋から芝浦埠頭までの間の長屋に住んでいたよう

 

立川志らく師匠の芝浜

 

当時の魚市場は日本橋で築地市場はまだできていない、築地本願寺はあるが向かいは埋立てて大名屋敷地となっている

 

 

現在の湾岸沿いは当時の埋立地をさらに埋め立て頑強に整備し埠頭や倉庫に利用されている、これは明治以降ずーっと

 

 

現代の象徴のスカイツリーやレインボーブリッジが見渡せるような場所になっている、埠頭や波止場へは関係者以外原則立入禁止になっている

 

 

伊豆大島への定期航路や隅田川を上って浅草への観光船が行き来しているのでここへは観光客も入ることはできる、しかし砂浜はない

 

幕末の築地周辺と昭和初期の東京湾

 

田町駅から浜松町駅までの湾岸沿いは当時の地図とはだいぶ違うのでほとんどが埋立地

 

回遊式庭園の芝離宮

 

お台場には人工の砂浜の海水浴場があるが当時は海の底、台場の砲台は江戸後期に構築されたもので古地図でも確認することができる

 

 

江戸初期の大名屋敷の庭園だったという芝離宮まできて一安心、江戸湾海岸の景も見渡せただろうがだいぶ内陸に感じる

 

志ん朝の芝浜

 

結局、財布は見つけられず