利休と織部 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

堺の商人だった千宗易が利を得るのはもう休めたらと、天皇より利休の居士号を与えられた、というような話や

 

裏千家今日庵

 

西は秀吉好みの優雅で華美なお城や茶室、東へ行くほど家康好みの質素で機能的になっていく

 

名古屋築城においては大坂と江戸の機嫌を伺いながらも、西にも東にもない美に達した

 

東名阪さらに京阪奈の美的センスの違いはこのような理由から、という建築や美術に関するエピソードが満載

 

表千家不審菴

 

寺之内通から小川通へ、表通りに面しているのが表千家で、その奥(裏)にあるのが裏千家

 

利休は渡り六分景四分をよしとし、織部は四対六にまで踏み込み現在の建築基準の建ぺい率に通じる

 

利休は侘び茶の景に渋味を入れた、さらに織部は歪みや遊びも採り入れたという

 

 

景とは外の庭の景色や余裕や癒しや遊びのこと、物事の本質はより多くの遊びに包まれていたようだ

 

『へうげもの』は利休の弟子の一人、戦国武将の茶人であり建築家、茶道具製造指導のみならず懐石料理まで手がけた古田織部の生涯と茶の湯の物語

 

本質を追求し無駄な遊びはいらないと合理主義に徹した家康は、茶の湯を重用せず大坂夏の陣後、織部に切腹を命じ古田家は断絶した

 

利休好みの黒茶碗と織部好みの歪み茶碗

 

しかし茶の湯は今なお三千家流派の茶道が、そして美濃焼の一種の瀬戸や志野とともに織部焼が生きている

 

『へうげもの』はたくさんの武将や茶人、画家や美術家・文化財や茶道具に至るまでビジュアルにデフォルメされて描かれている

 

左右均衡対象や幾何学的な均整の取れた形は西洋の南蛮人や東洋の唐人には尊い上級の概念だったらしい

 

 

日本も南蛮渡来品や唐物は高価で珍重した、しかし美しくはあるものの面白味がないと唱えたのが利休や織部

 

舶来品の甲の物に対して、織部は勝るとも劣らない乙なモノという美のジャンルを確立した

 

戦国の世で政治に利用された茶会において、接待交渉役を担った織部は重要かつ厳粛な場で乙な趣向で切り抜けたという

 

 

甲乙つけがたし、甲だけではダメで乙は場を和ませ人の心を捉えて物事を円滑にすることもある、というセンスの話

 

やがて形が均一な甲の物は大量生産可能な高級工芸品となり、唯一無二の存在の乙なモノは希少工芸品となった

 

このような考えは江戸時代の職人にも継承され、近代以降の大手メーカーや町工場にもあったが、グローバルスタンダードとともになくなりつつある

 

織部焼

 

安土桃山時代は戦国の世であるにもかかわらず、荒むどころか日本史上まれにみる多くの文化芸術作品を生み出している

 

現代の日本にも格好いいお洒落で機能的というだけではなく、乙なモノ嗜好者は多い

 

金銭的価値だけでは計れない審美眼の持ち主がまだたくさんいる、歌舞伎でも現代でも良い男の事を一番ではなく二枚目と呼ぶ所以