・給食
・体育
・部活
・PTA
急ぐ必要もなかったのに、いつからか急ぐ習慣になってしまった、反対車という演目は人力車の噺で江戸時代ではなく明治の落語だという
美食で体型を維持するためにわざわざスポーツをする習慣ができた中世ヨーロッパ貴族の贅を尽くした生活
落語を聴く限り日本には明治まで武士道鍛錬はあっても運動する習慣はなく必要もなかったという
馬にも籠にも乗るが急がないし急ぐ必要もなかった、急いでも大して影響が無いことを知っていたからだという
参勤交代も江戸へは早くたどり着きたくは無かっただろうし、お伊勢参りは急ぐどころかのんびり旅をしたという
走る理由も動機もないご時勢だったということらしい、飛脚は特殊な職人ならではの仕事ゆえに周りが急がないから効果は絶大だったという
走る文化はギリシャ・ローマから日本にも伝わり欧米以外には走る習慣は近代までなかったという
アフリカ勢の陸上競技や日本の長距離は明治以降に発展し実力をつけてきたことになる、オリンピックでもメダリストが増えたという
公家や武士や町人のほとんどは運動もせずなぜ体型を維持できていたのかは、しなくても良いくらいのエネルギー摂取だったからに他ならない
むしろ不足だったので一日二食から昼食を加え三食になった、城下町には屋台がたくさんできたという
主なメニューは寿司・天婦羅・蕎麦・鰻という和食名物が生まれた、今のそれとはだいぶ様相は異なるよう
のちにお腹が空いたからお昼を食べるというよりもお昼だから休憩して食べるという習慣になった
今では高カロリーの昼メニューもあり、お昼になったから食べるという習慣は変わらないからカロリーオーバーになりやすい
カロリー不足だった頃は手っ取り早く栄養を摂るため西洋料理のパンや肉を食べた、明治当初は上流階級から欧化が始まった
鹿鳴館外交は反発が強かったらしいが、便利で簡素で安価な合理的西洋文化は庶民にこそ早期導入が必要だったのだろう
徴兵制で激しい運動も始め文明開化したが、大多数の労働者には簡便にカロリー摂取できる西洋料理は普及しなかった
日本軍はパンでは戦わなかった、戦えなかった、短期決戦コメが尽きたら戦闘終了、戦死より餓死や病死も多かったという
戦後コメが足りなきゃ麦を食えと言わんばかりにパンと牛乳を給食で摂取し始めた
欧米化した食生活が普及し一般庶民まで中世ヨーロッパ貴族のような食文化となった
近代以前には無かった飲み食いしてはダイエットし、掘っては埋め掘っては埋めを繰り返す不毛な習慣も根付いた
やがて低所得層ほどジャンクな飽食となり大量消費文化が定着し、脂肪や贅肉の多い米国人並みの体格になってきた
運動が出来てスポーツを極めた人が教師になることはあっても、学業を極めた才の人が教師になることは稀
スポーツ選手が引退後、教育界を目指すことはあるが学業や研究を極めた専門家は引退することなくその世界を極め続けることが多い
となれば教育の現場は学業職人よりスポーツ職人の場となる、運動できる方が良く勤勉が仲間外れになる風潮ができた
現在の学校はブラックな部分が表面化し、古来からある稽古や精進する武道より近現代的な体育や部活に時間を費やす教育重視
心身ともに鍛えることから筋肉を鍛えるハードなトレーニングに変わり厳しい稽古をすること自体がなくなってきた
もちろん文武両道を掲げるが、なにせスポーツのプロはたくさんいても学業のプロは少ない、いても自ずと予備校に集まっていく
未だに戦後の前時代的なスポーツ職人のやり方には馴染めない、いわゆる体育会系縦社会
社会の隅々まで万延してしまった体育会系ムラ社会、カーストなるものもあるらしい、学校にも会社にも様々な業界にムラ社会があるようだ
戦後導入した給食や体育や部活の弊害が顕著になっている、そして同時期に米国発祥のPTAも導入されていた
GHQの教育改革の一環で給食と体育が活発になった、学業そっちのけで食べては動き食べては運動する、麦を消費し贅肉や筋肉を蓄える
これから英語の読み書きに加え英会話が初等義務教育に組み込まれていく、ますます考え方や喋りまでアメリカ流になるのか?
グローバルな英語圏には都合は良いかも知れないが、ガラパゴスの日本国内に適合するとは想えない
大陸と付き合って二千年、欧米と付き合って文明開化から百五十年、戦後七十数年
他言語全てを表音できるカタカナを発明した日本が単一言語の英語のみを使い続けるとも想えない
仏・独・伊・蘭・西・葡…の言語もある、欧州各国の一般市民も英語は得意とせず渋々使わざるを得ない状況、英のEU離脱は好機かも
給食も体育も部活も大嫌いだった、馴染めない物や量を無理に食べさせられ苦痛な動きを強いられ
閉鎖的な縦社会に従うことに嫌悪感があった、大人になってPTAに嫌悪感がある
良かれ悪しかれ現代はスピードを求められ、効率的に急いで走り続ける風潮が定着した
自由に身体を動かすことは嫌いではないからこれからも走らず歩き続ける、急ぐ理由も動機もないと改めて想う
パン屋さんではなく和菓子屋さんにするのが相応しいなら
体育の日をスポーツの日にするのではなく、武道の日にするのがしっくりする