委任統治、信託統治、間接統治 | 久蔵

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落語と歴史のブログ

十代の現役時代、歴史の授業は理系科目の内職で手薄だった、近代史を重点的に復習してみた

北は千島・南樺太まで、南は台湾と委任統治した南洋諸島まで、そして朝鮮半島と満州まであった

 

昭和初期の日本地図


どうしちゃったの日本は?という時期は日露戦争後の40年の間に起こっている

現代なら1970年代から今までの間くらいに日本も世界も一変した、激動の平成日本と言われているがその比ではないと想う

 



わずか40年で途上国から英米日仏伊の先進五大国の一員になった、独露中は当時の世界基準では入ってこれない

二度の世界大戦の間で真ん中あたりの世界第三位の軍事経済大国を維持していた、現在も第三位だが内容がまるで違う

オリンピックも金銀銅を量産していたという

単独国家との協力関係は無かった、時には露と協約したり仏と密約し、時には英や独伊と同盟し米を拒絶したり臨機応変に振る舞った

サムライが消え四民平等になり文明開化してあらゆる欧米文化が入り、徴兵制で富国強兵し宿敵の大陸の清にもロシアにも勝ったのに

くらしは良くなっていない、江戸時代より酷くなった、兄弟は戦争で死に姉妹は繊維工場で奴隷のような重労働をしている

徳川が薩長に変わっただけで格差は封建社会より拡大したという、大半の国民には選挙権すらまだない

しかし納税や年貢相当はあまり変わらない、むしろ国防費のため増えた

血税は殖産興業と軍事関連費に費やされた、繊維・鉄道・鉄鋼・造船や重化学工業は世界トップレベルを維持した、やがて航空機も

地主は農業に還元せず工業に投資し成金にもなれた、よって農業に近代化や文明開化はこなかった、国民の大半は極貧だったという

日露戦争って何?勝ったの?だから何?全く感心ないよ!で、生活は良くなるの?くらいの認識だったという

国家という概念も認識もない極貧層の安価な労働力が明治の近代化を支えた、他のアジアが近代化できなかった理由の一つであるとも言われている

戊辰詔書が発布された、大正を経て昭和初期には資本家でも農民でもない大卒サラリーマンが急増し中流層が出現した

飛躍的な生活水準向上の理由は、台湾・朝鮮・満州で新興財閥が莫大な開発投資をして現地と日本に還元し

老舗財閥が欧米海運貿易を維持した、欧州が大戦で荒廃したためアジア貿易をほぼ独占して相対的価値が高まった、からだという

世界大戦を機とした船成金や、世界恐慌を利用した投資家もいて、世界一人勝ちの日本は英米に叩かれ経済制裁まで受けた

イエスともノーとも世界にハッキリ発言し国際連盟も自らの意思で脱退し、出る杭になって叩かれても叩かれても飛び抜けようとした

ノーとも言う・出る杭にもなるという国民性は、聖徳太子の遣隋使の対等外交の頃からずーっとあったが間接統治下の戦後教育で失われた


GHQはわずか7年しか駐屯していない

 

ほぼ米単独による間接統治で大日本帝国は民主化し平和憲法も得たが失われたものも多く今の日本が存在する