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弁えろ俺@机上の理性

無害と有害の間

ときどき意味もなくずんずん歩く (幻冬舎文庫)を読んだ。

何故かって。
本のレビューブログだったからだ。
知らなかったか。

『52%の旅日記』とある。
実に楽しそうに旅の様子が書いてある。
あー、旅って楽しそう。

そんな風にはまったく思えない。
この人が旅したから楽しいんだな。というのが実によくわかる本であった。

電車の話で思い出したが、
以前乗り合わせた車両に
ひたすら悪態をつき
そこら中に唾を吐きまくるおっさんがいた。

マーキングである。

近辺に座っている人間はたまったもんじゃない。
文句を言うなり、席を立つなりすればいいのに
先の記事にも書いた通り
社会の暗黙ルールがあり、
黙って知らん振りをしなければいけない。

頭上からだみ声がどなり散し、
今にもおっさんの唾液が足にべっちょりするとも限らないのに、
それでも何事もないように振る舞わなければいけないのだ。

何もせず、無関心を維持するのは、
楽をしているように思うが、
異常なまでの忍耐力を要するのである。

社会のルールに従って生きるというのは、何て大変なんだ。

僕は絶対に無理だ。僕はその場から逃げた。

通勤する僕である。
おけいはん。

突如、目の前の座席に座っている女子が歌いだす。
「私つ~いていくよ~
どんな辛い世~界の闇の~中でさえ
き~っとあな~た~は~輝~いて~
超える未~来の果て♪」

・・・・・・・・そこまで?!
曲はアニメ涼宮ハルヒの憂鬱 挿入歌God knows...

他の乗客は何の反応もなく、
ひたすら焦るは僕オンリー。
歌った彼女も何事もなかったように携帯をいじり続ける。
焦ったら負けか。そうなのか?
中途半端に歌われ、余りの平穏な車内の空気がますます消化できねえ上にすげえ疎外感。

ここで『自意識過剰』なんて言葉をもってくる。

君がそんなに意識してるほど、周りは君の事なんて感心ないんだよ。
というやつである。
世知辛い世の中。東京砂漠。
みんな自分のことに精一杯で他人のことにいちいち興味なんて示している暇はないのである。

確かに、街中で大声出して叫んだりしている人が居ても、
「何あれ?」と反応する人間はわずかで、殆どの人は見て見ぬ振りを決め込むのである。
ある意味で正しい防衛手段なのかも知れない。
好んで余計なことに巻き込まれたい奴は少ないであろう。


これぞ自由を尊重された世界。
と思ったら大間違いである。

人間は顔や体系が異なるように、人の流れに上手く乗れる人間とそうでない人間がいる。
僕は明らかに後者であり、あらゆるものに乗り切れない。

試しに、目立つ行動をとってみるといい。
それでも上手く流されれば前者であり、けたたましく非難されれば後者である。


社交的なんかも性格というよりセンスである。
僕はセンスが悪い。
ある人には、生きるセンスそのものが無いといわれた。

街で、何でそのティシャツにそのズボンを合わすんだ?と10人中10人思うファッションに身を包んだ人は、『服のセンスが無い』となる。
今は、ハイセンスファッションの話は無しである。
本人は計り知れない程の思考を凝らして、ダサい服を着ているのではない。
なんとなく、もしくは気を利かして選ぶその行為にセンスが無いのである。

生きるセンスがないなんて、死んだ方がましだろうと思われるかもしれないが、センスがないのでその選択も浮かばないのである。