こんにちはニコニコ

ゆうきですうさぎ

 

 

 

引き続き2022年1月に始まった娘のイヤイヤ期の話です(当時、娘は2歳半くらい)。

 

 

 

結構内容的にキツイなぁーと思うので、読みたくない方はぜひ回れ右をお願いします。

 

あと、あの当時は私もギリギリの状態で生きていたので、ご批判とかはご遠慮したく、よろしくお願いしますお願い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年4月。

 

 

 

泣きながら「もう育てられない」と支援センター的なところに電話した翌日の午後。

 

相談員の川上さん(仮名)とのお約束どおり、娘を連れてセンターに向かいました。

 

 

これで何とかしてもらえるかも…と思う反面、私はひどい母親として見られるんだろうな、ブラックリスト入りしちゃうんだろうな、と自分の保身のことばかり考えていました悲しい

 

 

本当にひどい母親ですよね。

自分でもそう思います。

 

 

 

でも当時の私は、”きちんとやっている母親”になりたかったし、そう見られたかったんです。

 

 

実母から

私がひとりの時間が欲しいとボヤいただけで、母親がそんな風に思うなんておかしい!と詰られても


コンビニご飯を食べるなんておっぱいに良くないし、夫くんにも失礼!と注意されても


コロナ渦の中、出掛けるなんて!と怒られても(児童館に行っただけです)

 



夫が

脱いだパジャマを脱ぎ散らかしても


食べ終わったお菓子の包装や飲んだペットボトルを放置しても


スマホゲームばかりしていて娘から目を離して娘にケガを負わせても

 

 


私は

何年間も娘の夜泣きに対して涙しながらひとりで対応してきたし

毎日洗濯して娘と夫のご飯をせっせと作って

できうる限り娘を散歩に連れて行って

娘の発達段階に合わせておもちゃ買ったり対応して

 

本当に常にひとりで何もかもやってきたんです。

 

 

 


 

全然完璧じゃなかったけれど、完璧に出来ないことが苦しいことの要因のひとつでもあったけれどぐすん

 

少なくとも、仕事と嘘を吐いて外で遊び回る夫よりも家庭と家族のためだけに生活していました。

 

 

 

 

そんな思いもあり、最低な母親として見られるんだろうなと思うと悔しくて悔しくて…悲しい

そして怖くもありました。

 

 

もちろんこういった場所で直接私に向かってダメな母親だななんて言う人は居ないだろうけど…。

あぁ結局自分のことばっかりだな私…とも思いつつセンターに着きました。

 

 

 

 

電話対応してくれた川上さんが、「よく来たね」と笑顔で迎えてくださいましたニコニコ

川上さんは50代くらいの女性の方でした。

 

娘にも優しく対応してくれ、娘は優しい保育士さんに招かれて、一時保育の部屋へ。

私は娘と離れられてホっとしつつ、川上さんに連れられて小部屋へと移動しました。

 

 

川上さんに「こちらは○○課の原さん(仮名)です。来ていただいたので同席して良いですかね?」と尋ねられて、隣にいた原さんと紹介された川上さんと同い年くらいの女性はぺこっと頭を下げました。

 

今でも何課なのか全く思い出せないのですが、私の今後をお話するうえで重要な方だったのでしょう。

 

 

 

 

最初は川上さんも小部屋に居てくださいましたが、その後「今後を考える必要もあるし、原さんとおふたりだけにしますね」と退出されました。

 

 

私は川上さんにお電話で伝えていたことを原さんにもお伝えしました。

やっぱり涙が止まらなくて、ずっとずっと泣いていました悲しい

 

原さんは時折メモを取りながら、「うんうん」、「そこでひとりなのはキツイね」、「え、お母様にそんなこと言われたの?」など要所要所で受容的な対応をしてくださり、とても嬉しかったです。

 

 


 

一通り私の話を聴いた原さんから提案されたのは、娘の一時保護でした。

 

 

 


 

 

 

 

 

一時保護。

 

 

 


 

娘を一時的に保護する。

 

 

 

 

 



 

 

その言葉を聞いて、ドキっとしました。

 

 

 

 

 

虐待が疑われるからということではなく、病気でどうしようもないとか、少し子どもと距離を取りたいとか、そういった理由で利用している人もいるとのこと。

 


「ゆうきさんは、娘さんから離れて休息するのが良いと思うんですが、どうでしょうか?最短で1週間は預けられますよ」と原さんは言いました。

 

 

 

 

 

 

 

そうか、私って娘を一時保護してもらわないといけないほどの案件なんだ…。

 

 

 

 

子どもを育てられない、離れたい、一緒には居られないと言っておいてなんですが、


私は行き着くところまで来てしまってるんだと、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、とてもショックでした。

 

 

鼓動がとても速くなったのをよく覚えています。

 

 

 

 

続きます。