お久しぶりです、ねへほもんです。

仕事終わりながら、更新が空いてしまったので、気力のある日に更新するとします。

 

別件ですが、だぁ杯がキーセレ・オールスター・DMという異種格闘技戦を企画しているようで、非常に面白い試みですね!

書記担当募集してないかなぁ・・・?

 

1.ネタ探し

 

最近仕事ばかりでネタ切れ状態なので、何かネタ無いかな~とネットを漁っていたところ、少し古いですがこんな記事を見つけました。

 

好きなメイドキャラランキング

 

5月(May)10日(十)でメイドの日が先日あったようで、好きなメイドキャラランキングが発表されていました。

1位は・・・予想通り、リゼロのレムでした。

放送期間中は社会現象かと思うレベルの人気ぶりでしたからねぇ。

 

メイドさんで書けるネタという訳で今回は、

 

「金持ちは何故メイドを雇うのか?」

 

経済合理性の観点から考察したいと思います。

 

メイド服について語るという案もありましたが、筆者の経験値不足により断念させていただきました。

かむちゃん好きと書いているように、フリフリフリフリした服は好きなはず。

 

(フリフリフリフリ)

 

触れる機会に恵まれれば語れるかと思いますので、またの機会にさせてください。

歴史やら、機能性やら、可愛いポイントやら、記事1本分以上の語る要素はきっとあるはず。

 

 

2.「機会損失」って何?

 

「メイドさんを雇うことが経済合理的」というのは一見ピンと来ない話かと思います。

まずはメイドさんがいくらで働いてくれるのか、料金を見てみましょう。

テキトーに見つかったサイトで調べてみました。

 

家政婦 料金表

 

1日約17,000円、1ヶ月で約50万円。一般人からしたら、「高いなぁ・・・」と思うでしょうし、僕もとても雇う気にはなりません。

しかし、お金持ちであれば発想は一転します。

 

「月50万円で家事から完全に解放され、仕事に専念できてより稼げるのなら安いものだ」

 

金持ちの定義は色々でしょうが、ここでは単に先祖の財産を食いつぶすだけの道楽者ではなく、自分で会社を経営するなどして稼ぐ力を持つ人を指すこととします。

そういう人の場合、自分の持つ時間を仕事に向ければ向けるほど、より多くの金を稼ぐだけの機会と能力を持っています。

 

「月50万使っても、空いた時間で100万稼げれば割に合う」

 

これがお金持ちやビジネスの思考なのです。

 

ここで「機会損失」という概念が理解の役に立ちます。

機会損失とは、「ある選択を行い、他の選択肢を断念することによって得られなくなる最大の利益」のことを言います。

 

お金持ちの例で、メイドさんを雇わずに自ら家事を行った場合、「家事労働に費やした時間を本業に充てられた場合に得られたであろう利益」が機会損失となります。

年間にウン千万、あるいは億単位を稼ぐ人にとって、1ヶ月当たりの収入は数百万円、1日当たりの収入でも10万円位の働きはできます。

 

うち数時間が家事労働に消えるとしたら、その機会損失は数万円に及びます。

それなら17,000円をかけてメイドさんを雇う方が割に合うという考え方ができます。

 

 

3.機会損失を意識した生き方

 

この「機会損失」という考え方は、元は「工員に単純作業をさせる方が得か?マシンを買って単純作業をやらせつつ、工員を新商品の開発に充てた方が得か?」のようなビジネス上の意思決定で出てくる経済学的な概念ではありますが、日常生活でも応用しやすい概念だと思います。

 

機会損失のポイントは、「損失と書いているが、実際に損をするのではなく、得られたはずの利益を失うだけなので実感しにくい」ということです。金持ちの例でも、本業より家事労働を優先し、数万円の機会損失が発生したところで、実際に数万円のお金が失われる訳ではなく、実感はしづらいです。しかし、本業を優先した場合に得られたであろう数万円が、別の選択をすることで得られなくなるというのは事実です。

 

「実感しづらいから見逃しがちだが、だからこそ重要な概念」ではないかと思います。

普段は意識しなくても、実は大きな機会損失を負い、得するチャンスを逃しているということは多いのではないでしょうか。

現実では、以下のような例が考えられます。

 

(例)大学生の日常

ある1日に、時給1,000円のバイトをする、講義に出る、遊ぶの3つの選択肢がある中で、「遊ぶ」という選択をした場合の機会損失

→バイトをしないことにより得られなくなる利益は1,000円。講義に出る価値は算定が難しいですが、遊ぶと少なくともバイトは出来なくなるので、機会損失は最低でも時給1,000円です。

 

機会損失が最低でも時給1,000円ということは、合理的な判断をする人なら、「時給1,000円以上の楽しみを遊びに見いだせない限りは遊びに行かない」という選択をするはずです。

更に、遊びに行くと食事やらカラオケやらにお金を遣うので、その分を加えてもなお、遊ぶことに価値を見出せるか?という話になります。

 

勿論、「労働はしんどいから、時間だけでなく体力も対価に消費する」「労働で対人スキル等を学べる」という考え方もできるため、時給1,000円が機会損失かは単純には決められませんが、自分の行動を選ぶ上での指針にはなるかと思います。

 

ここまで書くと、「ねへほもんは何でも経済価値に換算するドケチ野郎だ」と思われるかもしれません。

お金が全てではないのは勿論ですが、折角生きて、1日24時間という時間を得ている以上、少しでもプラスになる生き方をしたいなとは思っています。

 

カードゲームなら、「自分の勝負欲、思考力を満たせるか?」という観点で取り組んでいましたし、仕事なら、「いかに効率よく、かつ自分のスキルアップに繋がる形で取り組めるか?」という観点で働いていますし、ブログを書いているこの時も、「自分の文章力を上げつつ、いかに読者の方に分かりやすく内容ある情報を届けるか?」と考えてます。

働くなら効率的に、遊ぶなら徹底的に楽しむ、趣味なら自分のプラスになりそうなものをということですね。

 

「何かを選択することは、他の選択肢を犠牲にすることだ」

 

だからこそ、選んだことには精一杯取り組みたいと考えてます。

 

帰り道に、「久々に記事書くか~。機会損失の話でもするかね。」というノリで書いたので、面白みの薄い話になった気がしますが、まぁお読みいただきありがとうございました。

 

最後に予告ですが・・・近々とある発表をする予定ですので、楽しみにお待ちください。

ではまた(^^)/