其ノ三十七
吉川元春

毛利元就の次男として安芸に生まれる。
元就の勢力拡大のために吉川家に養子として送り込まれた。
その二年後、厳島の戦いに参加
その七年後、第二次月山富田城の戦いに主力として参加した。

四年にわたり、尼子家と争い、尼子家を滅ぼしたが、尼子家の遺臣の山中鹿介が尼子再興の兵をおこしたが、最後には、山中鹿介を捕らえて、処断した。

その後、信長が中国地方に秀吉を大将とした大軍を送った。

その後、信長が亡くなり、秀吉が、信長の意志をついだ。
その時に、秀吉に忠誠を誓った。

だが、元春は、九州攻めの時に陣中で亡くなった。