其の二十七
北条氏政
北条家の当主・氏康の次男に生まれた。
二十一歳で家督を譲られるが、実権は、氏康がもっていて、両頭体制を築いた。
氏康が亡くなり、氏直が十八歳になると、家督を譲るが、実権は、氏政がとった。臣従した織田を攻めたり、下野を攻めたりした。

だが、秀吉から聚楽第行幸に列席を求められたが、断った。

これだけではなく、重臣が真田家の領地を侵攻して、秀吉の敵意を表面化させた。


秀吉は、小田原征伐に乗り出した。
氏政は、徹底抗戦の構えをみせたが、重臣・松田憲秀の裏切りにより、全面降伏を迫られ、北条家の歴史は、幕をとじた。


北条氏政は、無念の切腹をする。
北条氏直も翌年、なくなっている。


鎌倉幕府の北条家とは違う家系なので、戦国の北条家を後北条家と言う。