本日は、大学時代に学生監督を経験されたねぎ氏をお招きして、監督時代の心境について赤裸々にお話ししていただきました。

※今回は監督就任までのお話を掲載しております。

 

ーー早速ですが、監督就任はどのように決まったのでしょうか?

ねぎ:うちは伝統的に、春リーグに代替わりする決まりなので、例年は2月下旬の合宿で、次代の最上級生が話し合って監督を決めます。しかし、合宿中には意見がまとまらず、たしか代替わりの少し前まで決まっていなかったんですよ。とりあえず私の代で投票を行ってみようという流れになりました。その結果私が最も票を得まして、まあせっかく選んでもらったわけだし、引き受けるかといった感じで決まりました。

 

ーー最多得票を得て、監督就任が決まったわけですね。そのときの心境をお聞かせいただけますか?

ねぎ:選ばれたことに関して言えば、俺がちょうどよかったからなんだろうなあと思っていました。というのも、理由が2つありまして、1つはメンバー全員と良好な関係であったことですね。チームスポーツだと、チーム内にグループのようなものができるってよくあることじゃないですか。私の代もはっきりとではないですが、多少そういうのはあって。ただ私はどちらにもフラットに接してたので、立場的には無難だったのかなと。もう1つは戦力的な問題ですね。私は長らく腰痛を抱えてましたし、リーグ戦で活躍できる実力もありませんでした。選手として試合に出ながら監督を続けるのは大変ですし、私なら選手と兼任するにしても、結局監督専念ってことになるだろうと、周りからも思われていたんだろうと思います。

 

ーー結局選手兼監督ではなく、専任されたわけですが、選手と兼任しなかったのはなぜでしょうか。

ねぎ:チームにとっても自分にとってもそれがベストだと考えたからです。「チームにとって」の部分だと、自分が練習するのにかかるコスト(時間や場所)を減らして、その分を将来有望な下級生に使ってもらう方がいいなと。うちは選手以外の人員が少ないので、サポート側の人間が増えるのは大きいですし。「自分にとって」の部分だと、実力的には他メンバーと争わなきゃいけない状況の中で、選手続けるのは精神的にきつすぎるなと。選手として上手くいってなくても、監督の役割はきちんと果たさなければならないという状況に耐える自信はなかったですね。監督専任になってしまえば、選手として評価されることはないので、お前はどうなんだよと他のメンバーから言われることはないですからね。あとは新入生に投手が多かったのも一因にはなってますね。

 

ーー監督専任の方がメリットが大きいという判断だったわけですね。それでも、選手を辞めるという選択に躊躇いはなかったのですか?

ねぎ:当然ありました。むしろ就任前は選手を続けると言っていましたからね。3学年上の先輩投手は4年生になってから芽が出たという話も聞いていて、可能性を捨てたくないという気持ちはありました。当たり前ですが、プレーするのは好きでしたしね。怪我がなければ選手を兼任していたかもしれません。相当悩んだ上での専任という決断でした。

 

ーー新チーム発足当時、どんなチームにしていきたいと思っていましたか?

ねぎ:チームメンバーにとって、理想のチームになればいいと思っていました。どういうチームにするかというのは、自分が勝手に決めていいことではないかなと。なので、発足当初の同期とのMTGでも。自分がこうしたいみたいなのはあまり伝えてません。全体のMTGでは同期とのMTGで決まった目標を提示して、同意を得るという手続きをとりましたが、学年関係なく、メンバーの意見を聞きながら進めていきたいと思っていました。まずは2部昇格という目標はそこで決まったので、強いチームにしようというのは、その時点で決めていました。また、公平感のある運営が求められているというのは、強く感じていました。なので、公平さという点で不満が出ないようにしたいとは思っていました。

 

ーーでは、個人としては、こうしたい!という意思はなかったということですかね。

ねぎ:そういうわけではないですね(笑) メンバーの意思が優先だと思っていただけです。そう考えていた理由をきちんと話すべきでしたね。監督になるまでの2年間チームをみてきて、いまいちメンバー全員が同じ方向向いてるなっていう感じがしなくて。愚痴を言う選手も多かったですし。ただ、部活をやる目的って全員少しずつ違うと思ってて、目的の違う人が集まるなら不満が出るのも仕方ないとは思うんですよ。試合に出られる人数だって限られてますし。それでも同じ方向を向いて進んでいけるのがいいチームだし、そういうチームだったら楽しいかなって。そういった想いがあって、メンバーの意思を尊重したいと思っていました。

 

 

ここまでのインタビューいかがでしたでしょうか。

次回は、チーム発足後から最初の公式戦の関甲信までの話を伺っていきたいと思います。