あやまれ。 | ねぎらいの書

ねぎらいの書

ねぎらいの言葉を贈ります。
あなたの心の折りたたみの傘に。なりたいのです。


無意識のうちに。

誰かを謝らせようとしてしまうのは。


それはきっと。

謝ることが「負け」だと。

思ってるから、なのかも知れません。


相手が負けた=自分が勝った

かのような気持ちになりたいから。


だから。


いろんな角度から。

ぐうの音も出ないような。

そんなコトバや態度の一撃を。

打ち込もうと狙っているのかも知れない。



普段はとても優しくて。

笑顔がステキで思いやりのある人のはずなのに。

ある特定の場所や場面になると。

急に態度が変わったり。

不思議な主張を始めるのも。

無意識のうちに「勝ち負け」を。

意識している表れかも知れないのです。




でもね。


謝って勝つ場合もあれば。

謝らせて負ける場合もあれば。


どちらも負ける場合もあれば。

どちらも勝つ場合もあれば。

どちらも勝てない場合だって

きっとあるはず。



だから。

無意識に。やみくもに。


相手の不備やうっかりや怠慢や忘却を。

どうやって責めてやろうかと。


だってあたしならもっと自分を責めるんだから。

だからあの人だって責められて当然だ、と。


「ここは責めしかないっしょ」的な選択肢を。

当然のように選ぶのは

ちょっと待って欲しいのです。



自分にも他人にも。

もっと他の選択肢があることに。

ちゃんと気付いて欲しいのです。


目の前に起こっていることに一喜一憂して。

文句を言ったり告げ口したりどうやって凹まそうか思案したり。

そうやって過ごしていくことがあなたの使命ならば。

それはそれでいいのかも知れません。



でも。

そんな生き方がイヤで。そんな自分がイヤで。

なんとか抜け出そうと悩みながらも。

ついつい目の前のことに。一喜一憂してしまうなら。


今はただ。あなたの命の目的を。

見失ってしまっているときなのかも。



もし。いま。

目的が見つからないなら。

見失ったかも、と思ってるなら。


とりあえずは。

ねぎらいの土台を広げてみませんか。


自分をねぎらい。

頑張ってるところを見つけてねぎらい。

頑張ろうと思っただけでもねぎらおうとして。

存在できているだけでもねぎらってみようとして。


そしてそれを。

他人や社会や世界や宇宙にも向けてみようと。

自分なりに工夫していくことで。

ねぎらいの土台ができていくうちに。

本当の使命に出会える日がくるかも知れないから。


目の前のことに一喜一憂して。

苦笑いしたりイライラを募らせる前に。


人生の真の目的を見つける「下ごしらえ」に。

チャレンジしてみませんか。


今からでも。

遅くはないから。