01:冷蔵庫と俺/必要皆無の奇跡




極貧生活を送る俺にとって全財産とも言えるお年玉を、袋ごと賽銭箱に落とした初詣の帰り。
100段ある階段の57段目で足を滑らせて、20段目の踊り場まで転がり落ちた。
数十回転する視界の中、奇跡よ起これと数百回祈り、

……結果、肋骨が一本へし折れ、左腕は複雑骨折。
奇跡なんてこの世にはないと真剣に思った元旦の夜。

あちこちに絆創膏とガーゼを貼り付け左腕を吊ったまま家に帰ったら、
――奇跡は起きていた。


   ***


「……だからさ。いい加減現実を見据えようぜ。ブラザー」

一人暮らしの自宅のリビングに、先ほどから知らない男の声が響いている。
そう一歩引いた客観的視点からものを語ってみても、その男の声が自分に語りかけていることは否定しようの無い事実だった。知らず開いた口から、もう何度目かも分からない溜息が漏れていく。

「ブラザーとか痛い呼称は止してくれ。……どうしてこんなことに」

独白じみた俺の呟きにも、律儀に返答は返ってきた。

「そんなん俺も知らないけどさ。現に俺ってば喋ってるし」

「だから喋るなよ。何で喋るんだよ。ほんと意味が判んないだろ」

俺は苛立ちを抑えきれずに反論した。
だって本当に意味が判らないのだ。こんな奇跡のような現象、この現実世界に起こりえてはいけないことなのだ。いや、奇跡自体は百歩譲って起きてもいいが、それにしたってもっと人が恩恵に授かれるようなものであるべきだ。それこそ先ほど自分が転がり落ちたときに無傷で助かるような奇跡が。
……なのに、目の前に現れた奇跡的現象ときたら。



「なんで喋るんだよ。……冷蔵庫が」



……つまり、そういうことだった。
目の前の一見何の変哲もないグレーの冷蔵庫から発される男の声。ご丁寧に喋るのに合わせて冷蔵庫の扉がパタパタと開閉しうざったいことこの上ない。

「だから知らないって。ていうか俺は冷蔵庫っていう名前じゃないし。鈴木って言う立派な名前が」

「何処の誰がつけたんだ。そのクラスに一人は居そうなありきたりな苗字」

「俺。ていうかありきたりじゃないぜ。俺はオリジナリティを追及する男だからな。鈴木は下の名前だ」

冷蔵庫に男だの女だの性別があってたまるかと俺は思うのだが、そこを追求しても何の利益にもならないことは判ったので、「そんなところでオリジナリティを発揮してどうするんだ」と嘆息するだけに留めておく。

「いやーしかし喋るって楽しいのな。いぇーい」

パタパタパタパタパタパタ、パタン。と、ご丁寧にもいぇーいの部分だけちょっと大きめに扉を開閉する気遣いを見せる冷蔵庫。その気遣いで俺の消費電力の数字がどれだけ上がっているかを考えると殺意が沸く。いや相手は無機物なのだから破壊衝動か。
しかし今どんなにイラつく言動をしているとしても相手は自分の所有物、現代文明に無くてはならない冷蔵庫である。そう、衝動のままに破壊などしても痛いのは自分だけなのだ。落ち着け俺。必死で理性を保ちつつ、引きつった笑顔で俺は提案した。

「なあ、少し黙らないか。お前が喋ると中身が腐るだろ」

「えー。元から腐ってるじゃん、上段二段目の煮物とか。……仕方ないな、じゃあ冷凍庫の引き出しをパタパタするか」

「それも冷凍庫の中身が溶けるから却下だ。っつーかお前そもそもパタパタすんな」

「何言ってんだよお前。俺に口開けずに喋れってのか?」

「喋るなと言いたいんだ。大体お前それを口と言い張るなら、何個口あるんだよ」

「見てわかんないの? ひょっとして結構お前馬鹿だったり?」

「……もういいうるさいから黙れ」

さもないと俺多分お前をぶち壊すぞ。言外に込めた脅しに気付いたのか気付かないのか。冷蔵庫はつまらなそうに反論する。

「なんだよ、せっかく喋れるようになったのに。もう少し満喫させてくれたって――」

「だから。迷惑なんだよ。わかれよ」

反論をさえぎって俺が断言すると、冷蔵庫は少し怯んだように沈黙した後、諦めた様に呟いた。

「ちぇ、つまんないな。じゃあ、最後に一個だけ良いか?」

「何だよ」

暖房だけは効いているこの部屋のことだ、もうそろそろ冷蔵庫の中身が本当に危険な気がするのだが。
最後と言うのなら聞いてやってもいいかと、中身のことは諦め半分に俺は冷蔵庫の言葉の先を促した。

「超短い間だったけど喋れて楽しかったよ。ありがとな」

「……」

殊勝にお礼を言って黙り込む冷蔵庫に、何となく腑に落ちないものを感じながら。
それでも散々イラつかされた相手の言葉に返答する気力も無く、俺は無言で通常通りの一人暮らしの生活を数時間振りに再開した。



   ***



翌日になってから、そういえば昨日は元旦だったのだなと思い出した。
浮かれて初詣に一人で行ったことからも判るように、俺は本来その手の行事を律儀に楽しむ人間だ。それが元旦などという大きな行事満載の日を忘れてしまう程だから、昨日は本当に奇想天外なことばかりだったのだ。
骨折した腕と肋骨に気を使いながら起き上がるのに思いのほか苦労しつつ、俺は昨日母親に手渡されたお節を食べようとキッチンに向かい、ふと冷蔵庫の前で足を止めた。
ずっと前から、昨日ですら見た目はごくごく普通だった冷蔵庫は、無論今日もごく普通にそこにあった。

「……」

若干警戒しながら手を伸ばす。反応は無く、普通に扉は開く。
お節とその他の食料を漁っても、反応は無い。
それが普通なのだとはわかっていても、実際に目の前で散々喋られた身としては何かむしろ落ち着かない。とりあえず電気代はもったいないので扉を閉め、視界に冷蔵庫全体が収まるように一歩下がり、

「……鈴木?」

ためしに声を掛けるがやはり返答は無い。

「なあ、鈴木。聞いてるんだろ?」

と、再び掛けた声もむなしく響くのみ。
そこでふと思った。ひょっとしたら、奇跡は一夜限りだったのだろうか。ありえない話ではない。だからあんなに殊勝にお礼を言った、とか。
……そう考えると、俺は冷蔵庫……鈴木に悪いことをしてしまったのかもしれない。今さらだとは思いつつも、俺は鈴木に向かって話しかけた。

「……昨日はああ言ったけど、俺も少しは楽しかった。ありがとな。鈴木」

無論、俺の目の前の冷蔵庫から反応が帰ってくることはなく。
どうせならもっと話をしてやればよかったと、俺は少し後悔した。



……が、しかし。

「ええと、俺今起きたんだけど……今の話マジ? じゃあ話して良いのか? これからもよろしく! いぇーい!」

どうせならもっと冷たくあしらっておけばよかったと、俺は多分に後悔した。








ファイル作成2006年1月らしいです……懐かしい!
ほとんど修正ないままに載せているので、色々とひどいのはお許しください……\(^o^)/