現金なものだと我ながら思う。
わたしは今「エンディングノートの項目」を検索して、「遺言書の作成方法」を検索して、そして最後に「死亡時の手続き」を検索し終わったところだ。
妹とともに病院に行った。
そして予想通りの医師たちの敗北宣言を聞いてきた。
残された時間があと数日なのか数年なのかもしかすると今すぐでもおかしくない状態だと聞いた。
肺にたまった水もおなかにたまった水も、とてもじゃないけれど針を刺すことすら難しい状態で抜くことができなかった。
わたしたちは「覚悟しろ」と言われた。
行きも帰りもタクシーで、車中ではなんてことないバカ話をしながら乗っていた。
とりわけ仲のよい姉妹ではなかったはずだ。
用事で電話をすれば延々としゃべり続けるので少々うっとおしいとさえ思っていたくらいだ。
わたしたちは、それぞれに世間知らずの家庭で育ち、世間に出てから苦労した。おそらく弟妹ともそうだと思う。性格が少々歪んでいる。
死んじゃいやだ、とか、ずっとそばにいてくれ・・とは思わない。
わたしたちはいろんなことと闘ってきたし、今も闘っている。
闘いの終わりは人それぞれだ。
明後日にはまた病院に入院する。
帰ってこれるかどうかはわからない。
帰りの道すがら、近所にあるラーメン屋さんに一度も行ったことがないと言うので、今度行ってみようと言った。そう思ったのでそう言った。帰ってきたら一緒に行けばいい。
明日には万が一に向けて、普段なら聞かないようなことをあれこれ聞かなければいけない。
人に自分のことをおもんばかって「いい感じ」にしてくれと期待するのはよいことではないとわたしは思っている。
してほしいことはしてほしいと言わなければしこりを残す。
妹は浅い息でまだ不平不満をタラタラと言い、都知事選の結果だと首相がどうだのと話す。いいんじゃないか。
これまでより多くの時間を費やすことはない。
これまで通りの距離感で、これまで通りの時間を共有する。
少なくとも最後まで言いたいことを聞いておこう。