今日は、仏法の話を・・・。
唱題とは、法華経の肝心である「妙法蓮華経」に、尊敬し帰命することを
意味する「南無」を付けた、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えることを言う・・・。
この「南無」は、色々な信仰でも頭に付けられるのであり、その教えや人物に
対して、尊敬したり帰命することを表わす意味があるのです・・・。
「南無」の語源は、サンスクリット語の「ナマス」であり、その言葉の意味は、
敬意を示す・敬礼します・礼拝しますということらしいです・・・。
インドやネパールでも使われている挨拶の言葉「ナマステー」も、「ナマス」が
語源であり、「テ」はあなたという意味があるらしく、「あなたを尊敬します」とか、
「あなたに敬礼します」という意味になり、会った時だけでなく別れる時にも、
合掌しながら敬意を示すようです・・・。(ウィキペディアを参照)
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唱題する時に使うのが、数珠(じゅず)です・・・。
正式には、仏・法・僧の三宝を礼拝する時に用いる法具のこと・・・。
呪うとか唱えるという意味で「呪珠」・「誦珠」と書いたり、数を数える珠(たま)を
輪にしたので「数珠」、念ずる時に使う珠だから「念珠(ねんじゅ)」とも言うんです・・・。
この念珠の基本は、「煩悩」の数である108個の珠を糸に通したもので、
半分の54個以下の珠の「片手数珠」・「略式数珠」・「京念珠」と呼ばれるものや、
百万遍念仏という仏事に使われる、1,080個の珠からなる巨大な数珠も
あり、その行事の様子がテレビのニュースになったりもします・・・。
日蓮宗系の宗派は、108個の数珠を使い、他の宗派では片手数珠を・・・。

創価学会もすべての人が、このタイプの念珠を使っています・・・。
数珠の珠の材料により、それぞれ見た目が多少違います・・・。
数珠の材料は、ほとんどが黒檀・梅などの木材で、真珠や宝石を使ったものも
ありますが、使用頻度の高い人は木材、たまに使う人はその他と分かれそうです・・・。
両端に2つと3つの房が付いていますが、その根元を束ねている大きな珠は
「親玉(おやだま)」といい、昭和の時代では、見た目通りグループを束ねる
役目の人のことを「親玉」と言うこともありました・・・、特に悪いグループの・・・(笑)
念珠のかけ方も、正式なやり方がありますが・・・、現在はこのようになっています・・・。
3つの房の親玉の内側に右手の中指を下から差し込み、そのすぐ左側に
手を合わせる様に左手中指を上から差し込み、手をひねって合わせます・・・。
そのようにしてやると、中央で念珠が交差するようになるんです・・・。
上に掲載した念珠の写真に、左右の手のひらを下から差し入れた感じでかけます・・・。
現在は、右手に3つの房が来て、左手に2つの房が来るようになっています・・・。
僕が初めて念珠をはめた少年の頃には、3つの房は頭と両手を表わしていて、
2つの房は両足を、親玉は肩甲骨と尾てい骨、交差した部分がヘソだと教えられました・・・。
その頃僕が子供だったから、そう教えたのだろうか・・・?
でもいまだにそれを信じている自分がいるのも確かなのですが・・・。
この念珠のかけ方も、「みぎ」は2文字だから2つの房、「ひだり」は3文字だから3つの房と、
子供の頃は教えられていたのですが、いつからか変わっていました・・・。
でも僕は、現在のかけ方が仏教の伝来の上から、正しいように思います・・・。
というのも、インドから伝わる仏教なのだから、右手は神聖で、左手は不浄となり、
右手は神聖な上半身を表わす3つの房、左手は不浄な下半身を表わす2つの房がくる・・・、
それが妥当な考え方なのではないだろうかと、一人で納得しています・・・。
数珠の珠は、親玉・主玉・小玉の3種類からなっています・・・。
まず、3つの房側の親玉から、
33個の主玉・1個の小玉・14個の主玉・1個の小玉・7個の主玉となり、
それに続いて2つの房側の親玉が来て、
7個の主玉・1個の小玉・14個の主玉・1個の小玉・33個の主玉が来て輪になります・・・。
親玉2個・主玉108個・小玉4個となり、108は煩悩の数、4は四菩薩を表します・・・。
この数珠のかけ方も、修行としての正式なかけ方は、中指の付け根まで親玉を
落とした、比較的楽なかけ方ではなく、中指の第1関節に親玉を薬指と人差し指で
落ちないように挟み込んだ形で、指先まで力を入れていたようです・・・。
勤行・唱題を修行としてやっている僧侶などの間でやられていた方法のようで、
現在の在家の信徒・信者は、だらしなくならない程度に指先をまっすぐに伸ばして
合掌していれば、特に親玉の位置にはこだわらなくてもいいみたいです・・・。
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この数珠を、創価学会ではあまり激しくもむようなことはないのですが、軽くもむことは
同じ姿勢の連続での疲労を防ぐ意味からか行われています・・・。
軽くもんでいても、長い間勤行・唱題を続けていくうちには、玉をまとめている紐(ひも)が
切れてしまうことがありますが、ほとんどの学会員は自分で直しています・・・。
上に書いた順番に、親玉と主玉と小玉をつないでいきます・・・。
この修理紐は、僕の子供の頃は1本20~30円だったが、今は120円前後みたいです・・・。
僕も、この前6月19日に数珠が切れてしまいました・・・。
「煩悩から解き放たれたか・・・?」なんて思いましたが、相変わらず煩悩は厳然と・・・(笑)
この数珠の使い方のひとつとして、「唱題の数を数える」=数珠 としての役目もあります・・・。
親玉の脇の主玉から、題目を唱えるごとに爪繰(つまぐ)って数えていきます・・・。
註 : ◎爪繰(つまぐ)る===数珠を利き手の親指と人差し指で挟み、親指をはじく様に
1個づつ送って数を数える方法・・・。
◎爪弾(つまはじ)きにする===親指のはらに人差し指をのせて輪を作り、
イヤな虫などを人差し指で勢いよく弾き飛ばす方法・・・。
後になって、仲間はずれにすることを言うこともある・・・。
創価学会では、1時間の唱題で3300遍、3時間で1万遍というのが目安になっています・・・。
以前のように宗門の寺で唱題することがあった時代の太鼓の音と一緒に
唱題していた時には、それ位の遅いスピードでの唱題だったのですが、
そういう機会がなくなった現在では、白馬の走るような感じの溌溂(はつらつ)とした唱題が
主流になっているので、再度数え直したら、1分間で75~95遍、それを60分にすると
1時間で4500~5700遍、3時間だと13500遍~17100遍となってしまう・・・。
そこで僕は、2時間半で11250~14250遍となるので、1万遍の目安としています・・・。
今年は仕事に就いた期間が短かったので、今までに140万遍を超えています・・・。
義務感でやるのではなくて、真剣に宿命転換・人間革命を祈らないと変わらないとの、
河合師範の指導を忘れずに頑張っています・・・。
唱題に関しては、柏原ヤスさんの指導が印象的で記憶に残っています・・・。
「夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ」という御書の意味は、
夜遅くまでギラギラギラって、まだ起きて唱題してますよっていって題目あげるんじゃなくて、
朝早くに起きて唱題することが大切だってことなんです・・・。との指導・・・。
現在の感覚で御書を読んでしまいがちですが、電気もなかった鎌倉時代ですよ・・・、
「夜は眠りを断ち」と書かれていれば、当時の人は当たり前のように早起きを
思い起こすでしょうが、現代人は夜更かしを想像してしまう・・・。
柏原ヤスさんは、口は荒っぽかったけれどわかりやすい指導で好評だった・・・。
だからネットでは、ご供養や財務の件で内部向けの飾らないべらんめぇ調の指導が、
強制的だとの誤解を生んでいるようだけれど、人間関係の機微を全く知らない人間の戯言(たわごと)、
「そんなの関係ねぇ~~」だね・・・。
時代背景などもしっかりと学ばないと、御書の真髄はわからないんだね・・・。
僕も「教授補」として、もっともっと謙虚に学んでいかないと・・・。
頑張ります・・・、今日はこの辺で・・・、出羽股之介・・・。