『  青  年  訓  』     
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 創価学会会長  戸 田 城 聖

新しき世紀を創る者は、青年の熱と力である。吾人等は政治を論じ教育を

勘(かんが)うるものではないが世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の

末法御本仏たる日蓮大聖人の教を奉じ、最高唯一の宗教の力によって

人間革命を行い、人生の苦を救って各個人の幸福境涯を建設し、

ひいては楽土日本を現出せしめんことを希(こいねが)う者である。

この事業は過去においては釈迦の教団が実行し近くは日蓮大聖人の教団が

勇ましく戦ったのである。釈迦の教団の中心人物たる舎利弗にせよ阿難にせよ、

皆若き学徒であった。日蓮大聖人の門下も又、皆若き学徒によって

固められていたのである。日興上人は大聖人より廿四歳も若く、日朗も

又廿一歳の年のひらきをもっていた。西より東に向かった仏教も青年によって

伝承せられ東より西に向う大聖人の仏法も青年によって基礎づけられたのである。

吾人等は此の偉大なる青年学徒の教団を尊仰し同じく最高唯一の宗教に随って

人間苦の解決・眞の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に没在せる

東洋の浄土化を弘宣せんとする者である。諸兄等は此の偉大なる過去の青年学徒群と

同じ目的同じ道程にあることを自覚し此れに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。

霊鷲山会に共々座を同じうした時、末法の青年は『だらしがないな』と

舎利弗尊者や大聖人門下の上人方に笑われては地湧の菩薩の肩書きが

泣くことを知らなくてはならない。

奮 起 せ よ !   青 年 諸 氏 よ。

闘 お う で は な い か !   青 年 諸 氏 よ。

しからば誰人と如何なる戦を、吾人等はなすものであろうか。

∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 以 下 省 略 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ ∞

全文をご覧になりたい方は、

http://love.ap.teacup.com/pianissimo2/42.html

http://micup.web.fc2.com/secn.html   にあります・・・。

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半分弱書き写したところで、ふと気が付いた・・・。

これを書き写すことに、それほどの価値がないことを・・・。

戸田先生の『青年訓』を知ってほしいと思っただけのことなので、

誰か書き写した人のブログを探してリンクすれば、目的を達成できる・・・。

と考えたので、途中で終了しました・・・。

この『青年訓』は、大時代的な表現と、置かれた状況が今とは少し違うのです・・・。

日顕一味に乗っ取られた宗門ではありますが、当時の日蓮正宗は、

日蓮大聖人の正しい教えを、連綿と伝えてきた唯一の宗教団体であることは、

間違えのないことだったため、賞賛されている表現もあります・・・。

日顕という詐欺師が現れて、血脈相承を偽って乗っ取ったことが原因で教義が歪められたため、

創価学会は日蓮正宗と決別しましたが・・・、その後の日顕の乱心振りはとても異常なもので、

日蓮大聖人の教えを受け継いできた人間とは思えないような、教学力と慈悲のなさが、

池田先生への恐ろしい『嫉妬』の姿となって現れたのです・・・。

当時の日蓮正宗は、創価学会も所属していた正統派の宗教団体だったのです・・・。

その後日顕の行った異常な行為は・・・、

創価学会が、会員のためを考えて整備した日蓮正宗総本山の大石寺の様々な施設を、

ことごとく破壊し尽くして、自分の功績となるような建造物に作り直した・・・。

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日蓮大聖人が全世界に向けて認められた「一閻浮提総与の御本尊様」を安置するために、

信者(大半は創価学会員)からのご供養を元に、355億円をかけて建設された正本堂も、

まだまだ新築同然の30年しか経っていない平成10年に、50億円もの巨費を投じて解体されました・・・。

正本堂については・・・、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%9C%AC%E5%A0%82_(%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E5%AF%BA)

↑↑に、詳しく書いてあります・・・。

こんなことがあったため、この正本堂に安置されていた「一閻浮提総与の御本尊様」が、

認(したた)められた弘安2年10月12日を、創価学会では大々的には祝わなくなってしまった・・・。

日顕一味に不当に占拠・奪取された総本山と「一閻浮提総与の御本尊様」を取り戻すための

行動を示す意味でも、忘れてはならない教義の根幹を成す重要な出来事だと思うのです・・・。

また、この『青年訓』も発表後の世間の様々な経緯(いきさつ)があったとしても、

いつまでも受け継いでいかないとならない、戸田先生の青年に対する重要な指導だと思います・・・。

この『青年訓』をしっかりと学んだ世代の創価学会員は、基本が出来ていると思います・・・。

池田先生も、様々に青年に向けた書籍・指導を出しているのですが、この『青年訓』のように

教材として頻繁に使われることが少なかったように感じます・・・。

創価学会初代~3代会長の、青年に向けた指導をもっともっと教材として使っていたなら、

現在のような青年部の弱体化はなかったのではないでしょうか・・・。

もちろん未来部(高校・中学校・小学校)での教育・指導が大事なのは間違いないのですが・・・、

それだけに頼るのではなく、父母がしっかりと躾(しつけ)・教育しないといけないのは当たり前ですが・・・。

昨日は、中等部結成52周年の記事が新聞に載っていましたが、この組織もマンネリに

なってはいないでしょうか・・・?ちゃんと機能しているのでしょうか・・・?

池田先生は未来部を・後継者を育てて初めて、将来が磐石になると事ある毎に言われています・・・。

もちろん少年部を含めた未来部は大切ですが、特に少年部は将来を大きく左右します・・・。

だからこそ少年部担当幹部には、特に厳選した人材を登用することが大事だと思います・・・。

そして次の中等部と高等部、さらに学生部・・・、自我の芽生えた中等部からは思春期として、

同じような悩みもあると思うので、新たに「思春部」としてまとめて指導した方が良いのかもしれません・・・。

僕がこの年代の頃は、高校3年になると受験部として、高等部とは違う組織になっていました・・・。

高等部は好きだったけれど、受験部と学生部は嫌いだった・・・。だから学生時代は、退転部でした・・・(笑)

未来部で記憶に残っているのは、創価中学・高校の先生で高等部担当だった末定(すえさだ)さん・・・、

妙なご縁で、当時創価中学校で弟が教わっていた先生でした・・・。

今でも心に残るような温かい人でした・・・。

未来部の担当者は、適材適所でやって行かないと、良い人材は育たないと思います・・・。

毎日のように、聖教新聞には池田先生の青年の奮起を促す言葉が続いています・・・。

その先生の気持ちをしっかりと受け止めて、壮年部・婦人部が青年部の背中を押していかないと、

これからの広布の進展はないと思います・・・。

皆が生涯青年の気概を胸に、自らが闘いながら青年部をバックアップして行きたいものです・・・。


今日は、この辺で・・・、出羽股之介・・・。