創価学会には、人材グループがあらゆる年代ごとにある・・・。

一期一会の出会いが、人材グループになることもあるんです・・・。

すべては、池田先生のご配慮で、その時点の参加者が勇猛精進して、

そのグループで助け合いながら立派な人材に育つようにと考えられた、

人材育成グループであり、名誉グループではなく責任グループなんです・・・。

全ての学会の役職も、名誉職じゃなくて責任職なんだけどね・・・。

名誉の上にあぐらをかいて、偉ぶったり威張ったりするんじゃなくて、

率先垂範で意欲的に活動する、真の池田門下生になってほしいとの、

池田先生のお気持ちを推察し実践できる人がなるべきなのです・・・。

でも、人材グループに入った人すべてが、そういう立派な人ばかりではなく、

グループに入った当初は自覚のない人でも、何回かグループでの会合を

重ねることにより自覚が芽生え始める人がいたり、いつまでも自覚できない

人がいることもまぎれもない事実なんです・・・。

そうです、その自覚の薄いメンバーが僕なんです・・・(笑)

それも、「桜梅桃李」なんですけどね・・・。

でもね・・・、仏法には「麻畝の性(まほのしょう)」という譬えがあるんです・・・。

「麻の中の蓬」とも言い、普通は曲がって育ってしまう蓬も麻畑の中では、

周囲の真っ直ぐな麻に影響されて、自らもまっすぐに伸びていくという意味・・・。

その意味でも、こういうグループがあることで、すぐに曲がってしまう僕のような

ダメな人間も、周囲の人たちに助けられて真っ直ぐに育って来たのかも・・・。

                ◇

僕は6歳1ヶ月の時に、おふくろに連れられて創価学会に入ったのです・・・。

だから入信動機のない創価学会員なのです・・・。

だから、いまひとつピリッとしないのかも・・・(笑)

さらに、宗教嫌いというひねくれ者であるということは、間違いない・・・。

一番近くにあったのが、キリスト教の幼稚園ということでそこに入れられて、

お祈りしないと目の前にある昼食を食べられないということが、

無性に腹立たしく、他の園児より先に一人食べ始めてしまったら、敬虔な

クリスチャンであった担任にしかられ、園長室に連れて行かれた・・・。

そんなことが、さらに僕の触れられたくない部分に触れられたような感じで、

暴れて園長室のガラスを割ったらしい・・・(小さな僕の記憶にはないが・・・)

そのことで、幼稚園は中途退園という珍しい経歴?学歴?が・・・(笑)

そんな反逆児の僕だから、創価学会に入る時も、形ばかりの入会儀式の

寺で受ける御授戒を嫌い、太い柱にしがみついて拒否したらしい・・・(笑)

結局、引き剥がされて儀式に参加させられましたが・・・。

今も反逆児(反逆爺・・・???)だから、性格は変わらないですね・・・。

                ◇

そんな形で入会したのですが、おふくろが熱心だったので、いつの間にか

小学生の時から推薦されて夏季講習会や初登山会などに、参加させて

もらっていた時に、『五年会』という人材グループに入りました・・・。

『五年会』が結成された、1966年の「初登山会」の記念撮影がこれ・・・↓ ↓ ↓

 


前列中央に池田先生、前列には北条浩4代会長、和泉覚先生、辻武寿先生、

前列の向かって右端には白木義一郎さん、2列目には向かって右端に、

香峯子夫人、隣に柏原ヤス先生と草創期の大幹部が列席されていた・・・。

元プロ野球投手の白木義一郎さんのプロフィールのURLは・・・、

 http://blog.goo.ne.jp/spnimanabu/e/84a96732da349b596d23eeaa33c9a4c2

に、詳しく書いてあります・・・。

※写真の説明には、1968年となっていますが、1966年の間違いです・・・。

この「五年会」というのは、池田先生の「5年に一度会おう」との提案から

名付けられたグループです・・・。

今年2016年が、「五年会」結成50周年に当たり、1月には首都圏の代表者が

集まり、2月には僕は出席できませんでしたが、総合本部での会合が

杉並文化会館 勇気の間で行われました・・・。

50年前の結成式のことで記憶に残っているのは、池田先生の・・・、

「世の中では、『三無主義』の若者が増えているとの報道がされています。

私は、それに『無感動』を加えた『四無主義』が多いように思います。

ここにいる学会の未来部は、『四無主義』に陥ることなくしっかりと勉強に

頑張ってほしい・・・」との未来部の将来を期待された指導です・・・。

今でも、鮮明に覚えています・・・。

                ◇

それと、もうひとつ題名に書いておいたのが、『大樹会』・・・。

これは、昭和57年(1982年)9月19日に、西武球場で行われた、

『第2回世界平和文化祭』の少年少女部の演目「地球人登場」の

練習や本番の引率と世話人をやっていたので、出演の少年少女部共々

『大樹会』というグループを作っていただきました・・・。

演技をするのは男女小学生なので、練習は土日の日中が中心で、

電車での移動が多かったので、楽しい思い出でした・・・。

本番の動画は、下記のアドレスにありました・・・。思い出して感動です・・・。

URLは・・・、  https://www.youtube.com/watch?v=1cuZujC4pNo 

当日僕たち担当者は、西武球場外のテントの中で演技終了まで待機、

音だけしか聞こえませんでしたが、テントの中で成功を祈ってました・・・。

開始時間までは、小雨が降っていましたが、始まった時には雨も晴れて、

さわやかな風が吹いていました・・・。

何ヶ月かにわたる練習の間には、色々なことがありました・・・。

僕が担当していた少女部員のお兄さんが、学生部として世界平和文化祭に
 
組み体操として参加するために練習に頑張っていました・・・。

そのお兄さんが、練習中に高い所から落下して、ケガをしてしまいました・・・。

そのことによって、検査を受けたところ思っても見なかった病気が見つかり、

すぐに治療が出来て、手遅れにならずに済んだと聞かされました・・・。

さらに、本当に大きな行事だったので、観客・出演者・役員などの輸送には、

西武鉄道の大きな協力があったみたいです・・・。

特にグランド一杯の出演者が、緑一色の姿で瞬時に変わる人文字を

演じる「グランド人文字」は、何万人もの出演者が参加するため、

待機する場所もないし、着替える場所もないので、顔まで緑色の化粧の

異様な人間で一杯の電車が臨時電車として運転され、さらにその編成の

電車には一般の人も乗れるという異様な状況だったようです・・・。

註:「臨時」だけど「団体専用」ではない、珍しい運転形態だったみたいです・・・。

さらに、各駅停車(特に沿線からの出演者の乗車ために)と、それだけの

人数が待機する場所がないので、演目開始時間5~10分ぐらい前までに

ピストン輸送で西武球場駅に到着し、西武球場への参加者の入・退場は

全てランニングで休憩もなく、終了後は全ての演技者が帰宅できるように、

電車は何編成も近くの駅に待機して、満員になったらすぐに出発するという

過密輸送で対応したみたいです・・・。

このグランド人文字の参加者は、電車に乗ったらトイレへも行けないため、

水分を減らしみんな紙おむつ着用だったという話も聞きました・・・。

すごい大変な行事に、引率担当者として参加させてもらったんだなぁと、

今さらながら感動しています・・・。

今、「大樹会」で検索すると、社会福祉法人や医療法人が出てきます・・・orz

僕にとっては、掛け替えのない素敵な思い出です・・・。