テーマを決めていたブログ・・・、
『ALWAYS 僕の3丁目の夕日』を最後に書いていたのは、
2008年11月22日、あれからもう5年も経ってしまいました・・・。
長い間書いてきませんでしたが、続きを書きたいと思います・・・。
前回の記事の中に、伯母さんの写真が見つかったら掲載しますと、
書いておきましたが、見つかりましたのでまず掲載します・・・。
《二人》 伯母さんが、学生の頃でしょうか?祖母と一緒に写ってます。
《集合》 中央に祖母と伯母さん、まわりは親戚や知人でしょうか・・・?
こういう感じだから、『早稲田小町』という名前も頷(うなづ)けます・・・。
======= 練馬と溝の口 =======
前にも書いた様に、家族で住んでいたのが「練馬区桜台3丁目」、
だからこの題名にしたのだけれど・・・、子供の頃はとても田舎でした。
オヤジのお父さん(祖父)が、約80坪ほどの土地を、すぐ裏に住む
地主の風祭さんから借りていたのです・・・。
この辺の地主さんは、風祭、岸、篠という3家族の系列があり、
僕の同級生にも、風祭さん、岸さん、篠君がいました・・・。
地主の風祭さんの庭には、僕の家側に、椎の木が植わっていました。
秋になると、その椎の実を拾って、煎って食べたものです・・・。
どんぐり(楢の木の実)は、食べると下痢をすると言われていたので、
食べなかったけど、椎の実はとても甘くておいしかったですよ・・・。
椎茸は、この椎の木にできるのでそう呼ばれるのですが、
ここ秋田には、椎の木がありません・・・、それは椎の木が南方系の
木なので、寒い秋田にはないのです・・・。
誰か、椎の実がたくさん取れたら、送ってください・・・、食べたい・・・。
◇
その頃、家は貧乏であまり出かけることもなかったのですが、
高田馬場の祖母の家や、横浜の叔父さんの家に行くのが、
とても楽しみでした・・・。
でも、夏だけは奮発して、三浦半島の逗子海岸に海水浴に行き、
白鳥のおもちゃ?ボート?で遊んだ記憶があります・・・。
きかない男3人兄弟で、おふくろは大変だったことでしょう・・・。
この写真でも判る気がします・・・。
3・4歳の時でしょうか・・・?五月人形と一緒に写ってます・・・。
写真を写すなんて、一大行事です・・・(笑)
大きな写真なんてないし、ピントもややボケてます・・・。
明るさを修正して、セピア仕上げに画像を加工してあります・・・(笑)
そんな僕の家の庭には、周囲に和洋のイチジクが植えられていて、
夏から秋にかけて、よくもいで食べていました・・・。
和イチジクはやや硬めで、洋イチジクは甘みも強くおいしかった・・・。
2歳離れた弟(左)と、三輪車で遊んでいる写真です・・・。
貧乏なので、あまり写真もないし、人間だけしか写しません・・・。
この頃庭で、柴犬系の雑種(今は、ミックスとかハイブリッドと言う)を
飼っていて、かわいい子を産んだんだけど、そんな写真は1枚も
残っていません・・・、犬にはお金をかけられなかったでしょうね・・・。
カメラが家にあった記憶がない、カメラがなかったかも・・・(笑)
残っている写真は、親戚の誰かが撮ってくれたんでしょうか・・・。
◇
この頃、父方の祖母は高田馬場に、母方の祖父は溝の口に
住んでいたのです・・・。青山の家から引っ越して・・・。
でも、その溝の口の家で撮った写真が、1枚もありません・・・。
裏に小川が流れ、その川には錦鯉がたくさんいた記憶があります。
その川を下って川沿いを行くと、切通しのある大きな道路があり、
その道路を渡りさらに下ると、川に大きな木が覆いかぶさるように
生えていて、その木には何匹もの蛇がぶら下がっていて、とても
怖かったのを子供ながらに覚えています・・・。
後になって、「あれは木に絡まったツルだったんだよ」という
叔父さんもいましたが、子供の頃は本当に怖かった・・・。
さらに下ると、水が丸くなって流れる所に出ました。
これが日本では非常に珍しい分水場だったのです。
後で調べたところ、『久地円筒分水場』という名前でした。
この円筒分水・・・、町おこしのために、溝の口駅前にオブジェ風の
建造物があるみたいです・・・。
ここで分かれた水の1系統は、TOKIOの『鉄腕ダッシュ!』で
お馴染みのダッシュ海岸の近くに出ているらしいのです。
ここでの思い出がとても強いのか、叔父さんの一人はこの切通しの
近くに住んでいます・・・。おしゃれなカッコイイ叔父さんです・・・。
こんな溝の口には、思い出はわりとあるんだけど、僕が3・4歳~
5・6歳までの2~3年しか住んでいなかったようです・・・。
======= こ こ ま で =======
とりあえず、今回はこの辺で終わります・・・。
次回は、『練馬と伊勢佐木町』になりそうです・・・。
お楽しみに・・・。