どうもネギです。

タイトルにもあるように、今回はかの有名な夏目漱石の「こころ」を読んだので、つらつら感想を書かせて頂きます。と言っても前回同様、今回も読破してからだいぶ時間が経っております。すみません。;;

この物語は私が高校生の時、現代文の教科書に一部が掲載されていたので、私と同世代の方でしたら印象に残っている方が多いかもしれません。最近の教科書ではどうなんでしょうか。

当時から何となく読んでみようかなぁと思ってはいたのですが、多分2〜3回くらい挑戦して途中でやめてしまい、この歳になってようやく読破することが出来ました。いやはや、読書嫌いが顕著でお恥ずかしい限り…。

 

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html

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※以下、ネタバレ注意

 

 

 

 

 

「こころ」と聞いてパッと思い浮かぶのは「先生」と、先生の友人の「K」だと思うのですが、その二人のやりとりは最終章のみで、それまでは男子学生の主人公と先生のお話になります。先生と出会い、徐々に仲良く(?)なって、先生の奥さんとも話すような間柄になるけれど、父親の病気が悪化したため主人公は実家へ帰省し、そのまま東京に戻れず先生と会わない日々が続く…という感じです。こうして書けば短いのですが、ここまで話が進むまでに文章量が結構ありまして、読書慣れしていない私はメインの最終章に辿り着くまでにだいぶ疲れました(白目)。

これは私個人の意見なのですが、良くも悪くも、登場人物の置かれている状況の説明や心理描写が非常に細かいと思いました。それが魅力的であると同時に、「そこまで細かく説明しなくとも…」というところや、「何回も同じようなこと言ってんな〜」というところも多かったように思います。読みやすいところもあれば読みにくいところもありました。

良く言えば繊細、悪く言えばくどい、という感じ。

 

 

実家から身動きできずにいる主人公の元へ先生から手紙が届き、主人公は東京行きの電車に飛び乗って手紙を読みます。その手紙の内容こそが最終章で、先生の過去編となるとともに「K」が登場します。

 

 

簡単に説明すると、先生とKがかつて同じ女性を好きになってしまい、最終的にその女性は先生と結婚することになるけれど、Kはその事実に対して絶望したのか、あるいは自分に対して失望したのか自殺してしまった、という内容です。

今まで私の中で先生は「友人に先立たれてしまった不幸な人」という印象だったのですが、今回「こころ」を読破してみて、ぶっちゃけ先生も割とえげつないことやってんなぁと思うシーンがありました。だからこそ先生は最後まで過去に囚われていたのでしょうが…。

 

 

第三部 四十一章

「私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」といい放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる恋の行手を塞ごうとしたのです。」

 

 

「道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲(せつよく)や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害(さまたげ)になるのです。(中略)私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑の方が余計に現れていました。

こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角(せっかく)積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。(中略)私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。

「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」

私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。

「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」」

 

 

良くも悪くも非常に真面目で、自分が決めた生き方のためにはどんなものも犠牲にしてきたK。自分が恋をしてしまうことに戸惑い、「今まで自分が『決めたことのためにどんなものも犠牲にすべき』と主張してきたのは一体何だったのか?」と苦悩していたのは他でもないK自身だったはずです。そんなKに対して、かつてK自身が言っていた「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」という台詞を二度も叩きつけた先生はなかなかに残酷だと思いました。「私ってダメな人だよね…」と落ち込んでいる人に対して、「うん、お前マジでダメ人間だよ」と言ってるようなもんじゃね?と…。

 

 

ただ先生本人も言っている通り、Kがもし恋愛に熱心になってお嬢さんと結ばれてしまったら…という事態を恐れての発言であり、Kを貶めてやろうとか、そんな意図はなかったようですね。実際、「Kが恋したのがお嬢さんでなければ、優しい言葉をかけていただろう」という描写があります。更に先生とKは良き友人だったようですし、その先生がここまでKを追い詰めるとは、恋は盲目…というやつですね。

 

 

先ほど「登場人物の心理描写が少しくどい」という批判を書いてしまいましたが、この苦悩するKの様子だったり、先生がお嬢さんをKに渡したくないという思いからKに詰め寄ったり、Kやお嬢さんの普段の態度を見て一喜一憂する先生の様子などの描写は素晴らしかったです。特にKの「僕は馬鹿だ」の悲痛感は物凄いです。「ここが自殺を考えたきっかけだったのかな…」と考えてしまうというか、たった一言なのに、読んでいるこちらも胸がとても痛むくらいKの苦悩が伝わって来ました。

さらにKの苦悩する様子がひしひしと伝わって来たのが、

 

 

第三部 四十章

「彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです。

(中略)

彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰まりました。彼はただ苦しいといっただけでした。」

 

 

第三部 四十二章

「もうその話は止(や)めよう」と彼がいいました。

(中略)

「止めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」

(中略)

「覚悟、−覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言(ひとりごと)のようでした。また夢の中の言葉のようでした。

 

 

このあたりの文章です。特に四十二章でKに詰め寄る先生には驚きました。Kの台詞を叩きつけた後に、更に追い打ちをかけるようですよね。

先生がえげつないな…と思った箇所は、実は他にもあります。

 

 

第三部 四十八章

(Kの自殺現場を発見し、机にKからの手紙が置いてあることに気づくシーン)

「私は夢中で封を切りました。しかし中には私の予期したような事は何も書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛い文句がその中に書き列ねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、どんなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かったと思いました。(固(もと)より世間体の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)」

 

 

Kの自殺した姿を見て、取り返しのつかないことをしてしまったと後悔して体が震える中でも、ついにお嬢さんのことを忘れられず、自分が不利になるようなことが手紙に書いていないか心配してしまった、ということですね。その状況下でそんなことまで頭が回るのか…とは思いましたが、人間って窮地に追いやられると本当の気持ちが出たりするものですよね。

 

 

第三部 五十一章

「Kの友人は、懐から一枚の新聞を出して私に見せました。(中略)それにはKが父兄から勘当された結果厭世的な考えを起こして自殺したと書いてあるのです。私は何もいわずに、その新聞を畳んで友人の手に帰しました。友人はこの外(ほか)にもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほとんど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では終始気にかかっていたところでした。

私は何よりも宅(うち)のものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪らないと思っていたのです。私はその友人に外に何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答えました。」

 

 

こちらも先ほどの手紙のシーンと似ていて、そんなこと気にかけてる場合か、と感じてしまうところですね。

 

 

自責の念に駆られてか、最終的に先生も自殺をしてしまい、主人公の元にこの手紙が届く頃にはもういないだろうと語っています。自分の過去が他人(主人公)の参考になるならば…という理由で手紙を書き残したけれど、どうか妻にだけはこのことを黙っていて欲しい、と語ったところで「こころ」は幕を閉じます。つまり、第一部、第二部で登場した男子学生の主人公のことはあまり明らかにされないまま終わってしまいます。主人公が先生の過去を知って何を思ったのか?とか、父親はやはり死んでしまったのか?とか、東京行きの電車に飛び乗ったはいいけれど、先生はもう亡き人となってしまって、これからどうするのか?とか。第一部、第二部が長かったために、個人的には主人公がその後どうなったのか気になりますし、「あれ、ここで終わり?」と思ってしまったのが正直なところです。そのあたりは読者の想像に任せるということでしょうか。

 

 

かなり長文になってしまいましたが、以上が「こころ」を読んでの感想です。色々と批判的な意見も書いてしまいましたが、先生とKの心理描写は読んでいてとても惹かれるものがあり、その意味で「こころ」というタイトルは色々と考えさせられて非常に秀逸に思えるので、読書嫌いには少し大変でしたが読んでよかったなぁと思いました。以前から読もう読もうと思っていた作品でもあるので、読破できたことも嬉しいです。

 

 

それでは、次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

 

 

*おまけ*

 

本来面白いシーンではないのですが、個人的に面白いなと思ったシーンを抜粋してみました。

 

 

第一部 二十三章

「これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思うが、当座の一週間ぐらいは下にも置かないように、ちやほや歓待(もてな)されるのに、その峠を定規通り通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいには有っても無くっても構わないもののように粗末に取り扱われがちになるものである。」

 

あってもなくても構わないとまでは行かずとも、普通に「帰省あるある」で笑いましたw

 

 

第二部 二章 

「なにね、自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはないんだから安心だよ。お父さんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、これから先まだ何年生きなさるか分かるまいよ。それより黙ってる丈夫の人の方が剣呑さ」

私は理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐なような母の言葉を黙然と聞いていた。

 

今でもよくこういう事言いますよねw

 

 

第一部 二十五章

(主人公の男子学生が大学の卒業論文に取り掛かるシーン)

「他のものはよほど前から材料を蒐(あつ)めたり、ノートを溜めたりして、余所目(よそめ)にも忙しそうに見えるのに、私だけはまだ何にも手を着けずにいた。私にはただ年が改まったら大いにやろうという決心だけがあった。私はその決心でやり出した。そうして忽(たちま)ち動けなくなった。今まで大きな問題を空に描いて、骨組みだけはほぼでき上がっているくらいに考えていた私は、頭を抑えて悩み始めた。私はそれから論文の問題を小さくした。そうして練り上げた思想を系統的に纏(まと)める手数を省くために、ただ書物の中にある材料を並べて、それに相当な結論をちょっと付け加える事にした。」

 

いつの時代にもこういう私みたいな奴っているんだな。