どうもネギです。

前回の注意書きから大分時間が経過していて申し訳ございません。;;

記念すべき(?)最初の感想文は、片山恭一さんの「もしも私が、そこにいるならば」でお送りさせて頂きます。

この記事自体は1月3日に大体書き終えていたのですが、後で手直ししようしようと思って気がついたら2月15日になっていました。もう二月が半分終わり…だと…?

 

 

https://www.amazon.co.jp/もしも私が、そこにいるならば-片山-恭一/dp/4093861250

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アマゾンのページをご覧頂くとわかるのですが、2003年の本です。だいぶ古いです。実は中学生の時に二回ぐらい読んでいるのですが、その割にはあまり内容を覚えておらず、なんとなくもう一度読みたくなったのでチョイスしてみました。

 

 

片山恭一さんは、あの大ヒットした「世界の中心で、愛をさけぶ」の作者さんです。懐かしいですね。

それもあってか、本の帯に「『世界の中心で、愛をさけぶ』につながる3つの愛の物語」といううたい文句があるのですが、この本は「世界の中心で、愛をさけぶ」に関連するストーリーではありません。登場人物やら設定やら、全て完全に別物ですのでご注意ください。

そして「3つの愛の物語」という説明の通り、この本は短編集でして、

「もしもわたしがそこにいるならば」

「鳥は死を名づけない」

「九月の海で泳ぐには」

の三つのお話が収録されています。三つのお話に特に関連性はなく、どれも独立した物語となっています。

 

 

※以下、本のネタバレ注意

 

 

 

 

 

まず「九月の海で泳ぐには」は、教師をしている主人公(男)の日常と、趣味のクライミングをしているシーンがだいたい交互に描かれるのですが、私はクライミングの知識が全くないので、主人公が今どういう状況なのかあまり理解できませんでした。←

「九月の海で泳ぐには」というタイトルの割に、海要素は最後の最後に少し出てくるぐらいなのも残念でした。

主人公の心情なぞも個人的には共感し辛い(読んでも理解できてない)ので、あまりグッとくるものもなかったため、このお話は省略させて頂きます。

 

 

「鳥は死を名づけない」も上記の通り印象は浅かったですが、こちらは「九月の海で泳ぐには」よりはずっと主人公の置かれた状況が理解しやすかったので、こちらの方が読みやすかったです。順風満帆な人生を送っていた主人公(男)が病気で入院し、そこで時枝という人物と知り合い、時枝とのやりとりが淡々と描かれている感じです。

 

 

一応それだけではなく、主人公の恋人も登場するのですが、この恋人は主人公に特に影響を与えるわけでもなく、しかも途中で主人公を置いてアメリカ人と勝手に渡米してそのまま別れてしまうので、ぶっちゃけこの恋人って登場させる意味ある?という感じでした。

 

 

一つだけ、時枝の台詞で非常に印象に残っているものがあります。

 

 

125P

「たぶん人間は一人きりで死ぬようにはできてないんだね。鳥たちみたいに、いつのまにか動かなくなって、木の根元で冷たくなってる方が気楽だけど、彼らが何気なくやっているようなことが、ぼくたちにはできない。そこが問題なんだ」

 

P141

私はいつか時枝が言っていたことを思い出した。人間は鳥たちのように、何気なく死んでいくことはできない。鳥は死を名づけない。たしかにそうだ。それを「死」と名づけたことが、あらゆる恐怖と不安のはじまりだった。

 

 

この台詞でタイトルの意味を回収していることになりますね。どうしてこの台詞が印象に残っているかというと、私の知り合いに一人、介護やら何やらで色々と奔走している人がおりまして、それはその人がやる必要はないのだけどその人しかやる人がいない…という状況でして。その人には色々とやりたいことがあるハズなのに、周囲のお年寄りを気遣うが為にそれができないでいる…と個人的には思っていて、この時枝の台詞を読んだ時に「自分が死ぬときは、周りの人の人生を圧迫することなく単純に死にたいな」なんて考えたりしたので印象に残りました。(その人の周囲のお年寄りが悪いというわけでは全くありません。)

 

 

では最後に、個人的に一番面白いと思った「もしもわたしがそこにいるならば」の感想を述べます。

 

 

後半二つの物語が恋愛要素が比較的薄めなのに対して、このお話はしっかり恋愛要素が盛り込まれています。

主人公(女)の母親が亡くなる寸前、病室に見知らぬ男が突然やってきます。その男は母親にとってどんな存在だったのか?ということを主人公が探る、というお話です。「探る」というと推理小説のような言い方になってしまいますが、単純に主人公がその見知らぬ男と会話をする中で、若かりし頃の母親とその男が過ごした日々が少しだけ明らかになる、という感じです。

印象的な台詞などはなかったですが、「この男は一体?」という好奇心から続きが気になってスイスイ読めたので、一番読みやすかったお話でした。短編ということもあり母親と男の過去はそこまで深く掘り下げられず、簡単にいうと「母親と男が昔旅行に行った一週間が、あまりにも楽しすぎて忘れられなかった」という感じです。この説明じゃパリピとしか思えんな…。

 

 

この男のように、過去にずっと囚われてしまうのは少し考えものですが、いつになっても忘れられないくらい、若い頃に異性と楽しいひと時を過ごしたという状況は、非リアな私にとっては非常に羨ましいです(白目)。

ただし男が最後に、主人公に母親の髪の毛(数本)を託すシーンはちょっとな…と思いました。髪の毛を大事に持ってるとか何のホラー映画だよと…ということでラストシーンだけは少し残念。

 

 

このお話を読んで一つ感じたことがあるのですが、例え自分の家族であっても、自分の過去を勝手に色々と探られるのはあまり良い気がしないので、果たしてこの主人公がやっていることは良いことなのか悪いことなのか…と思ってしまいました。親の思い出は親だけなんじゃなかろうかと。というか親の恋愛事情とかあまり聞きたくない(直球)。物語を根本から否定してすみません。

 

 

以上、感想をつらつら書かせて頂きました。最初なのに文句ばっかり言ってしまった気がしますが(最低)、普通に面白かったです。というか読みやすかったのかな。

今後もこんな感じで更新していこうと思います。

 

 

それでは、次の記事でお会いしましょう。