岐阜県の中津川で、高校一年生が中学一年生を殺害した。
自分が、岐阜出身で、以前、中津川の子と付き合ってたこともあり、
このニュースがとても気になってしまう。
どうやら、二人は付き合ってたみたいだ。
2歳の子供もいたとか。
2chなどでは、彼女のブログのURLが紹介されるなど、
この事件は、色々と複雑なことになっている気がする。
13歳で人生を終えた女の子。
残念としか言い様がない。
そして、何よりも残された家族や友人は、
この上なく悲しんでいるのだと思う。
自分は事故で友人を亡くしたことや、
その葬儀などで、家族とお話をしたこともあり、
少しは、遺族や周りの人達の苦しみが理解できるつもりである。
おそらく現実を受け入れることができないはずだ。
そして、その後、悲しみは大きくなり、そして、
被疑者への怒りや憎しみへと変わるのだろう。
それが、少しでも悲しみを和らげる手段になるのなら、
それはやむをえないことかもしれない。
自分は、正直、加害者の15歳の少年にも、同情というか
残念な気持ちになる。
今はまだ動揺しているのかもしれないが、
彼はきっと、自分の行ったことに後悔する時がくるはずである。
しかし、それはもう手遅れであり、
彼が女の子を殺した事実は消えることはなく、
彼は、その罪を償わなければいけないし、
彼は、一生、自分の行った行為を後悔し、
自分を責め続け、
苦しみを背負わなければいけないだろう。
人を殺すということを正しいと思う人はどこにもいないはずである。
誰もがそれは分かっているはずである。
他人の命を決める権利など、この世に存在しないからである。
では、なぜ、人は殺すのだろうか。
それは、ケースバイケースっていうのもあるけど、
今回の件は、衝動的にやったとしか思えない。
おそらく、何か許せないことがあり、
その怒りが理性を失わせ、今回の事態に至ったのではないだろうか。
衝動的という言葉に、違和感を感じるかもしれない。
彼は数日前に、パチンコ店だったとこで待ち合わせをしようとしていたらしい。
普通に考えたらそれは計画性のあるもので、
衝動的とは言えないかもしれない。
しかし、長い目でみれば、それも衝動的ではないのだろうか。
もし、女の子が何らかの理由で、一週間でも、
彼と会うことがなければ、
きっと、彼は消えていた理性を思い出し、
今回のようなことを避けることができたかもしれないからだ。
だから、自分からしてみれば、
彼もある意味では不幸だったのかもしれない。
では、どうやったら、今回の事件を避けることができたのだろうか。
それは、教育しかないと思う。
人を殺すのが悪いというような、無意味な教育をしろという意味ではない。
どんなことがあっても、理性を忘れないような、
心の教育が必要なのではないのだろうか。
学問を重視した教育も必要かもしれないが、
心の教育も、もっと大切にすべきではないのだろうか。
それは、学校教育だけでなく、
家庭教育や地域教育など、全体で考えなければいけないのは言うまでもないのだが。