清洲城(愛知県) | 月あかりのブログ☆四季つれづれ☆

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2023年5月4日


2023年ゴールデンウィーク車中泊の旅6日目🚗


名古屋城から清洲城に向かった🚗



清洲城




















鯱瓦




鯱瓦





天守閣の天井




高欄付き廻縁(こうらんつきまわりえん)が綺麗キラキラキラキラキラキラ

テンション上がる⤴️




天守閣からの眺め











清洲城


城データ

  • 所在地:愛知県清須市朝日城屋敷
  • 築城年:応永12年(1405)ころ、天正年間(157392)改修

築城者:斯波義重、織田信雄(改修)

  • 遺構:石垣・内堀の一部など
  • 再建 天主閣・搦手門・大手門
  • 形状:平城

清洲城広場に建つ模擬天守

清洲城は名古屋城築城に伴い廃城、建物の部材などは名古屋城に利用されたといわれています。平成元年に旧清洲町の町制100周年を記念して、模擬天守が建てられました。



清洲城天主閣

清洲城の天守は平成元年に模擬天守として建てられました。内部で

は、清須の歴史や、織田信長を中心とした戦国武将たちと清須の深い関わりを紹介しています。また清須城下町の様子や人々の生活を、ジオラマシアターやバーチャルウォークによって紹介するコーナーもあります。最上階からは清須市の眺望が楽しめます。

清洲古城跡公園 

天守が建っていたとされる清洲古城跡公園には、城主として10年間を過ごした信長をまつった小社や、清洲城に関わる碑3基があります。郷土の英傑を讃え、織田信長の命日である62日には、毎年、「織田信長公顕彰祭」が社前で行われています。


桶狭間の戦い

信長は那古野城から清洲城に移って居城としました。永禄3年(1560)に、信長は清洲城から桶狭間に出陣して、天下布武の一歩を踏み出したのです。


[清洲会議]

清洲会議とは、1582年(天正10年)627日に、織田信長の重臣たちが清洲城(現在の愛知県清須市)で開催した会議です。本能寺の変後の戦後処理と、信長の遺志を継ぐ後継者の決定を目的としていました。 

会議では、羽柴秀吉と柴田勝家の意見が対立し、信長の孫である三法師を後継者に推薦した秀吉が勝利しました。この会議は、のちに「賤ケ岳の戦い」のきっかけにもなりました。 

清洲会議の主なメンバーは、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人でした。信長の嫡男である信忠は亡くなっており、次男の信雄と三男の信孝は家督をめぐって争っていました。信孝には光秀討伐に加わった功績があり、柴田勝家は信孝を後継者に推しました。 

秀吉は、信長の血を引く信孝が後継者になれば、自分にとって都合の良い環境を作り出せないと考えました。そのため、信長の孫である三法師を後継者に推薦し、丹羽長秀や池田恒興などの重臣たちの支持を得ました。三法師は織田家の遺領である近江・坂田郡と安土城を相続しました。 



つづくオーナメント


2023年ゴールデンウィークの旅はまだまだ続くよ。どこまでもハートのバルーン