西洋という今の主流の考えがあるけれど、
それ以前には各地にキリスト教が出来る前には、神話があって、意外に世界の神話に共通する事が多くて、
ヘブライ語とかは昔の言語で、日本語は大陸の端っこだから、そのまま昔に近い形で残ってる部分があって、元々人間が最初に出る言語って似てたのかもしれない。
そこから、西ヨーロッパは、キリスト教が生まれて、神話の宗教の影響は少なくなったけど、
東のキリル文字文化や文字をあまり使えない地域では、キリスト教も正教会では、魔術も農作業など日常で使われる事が多いし、
魔女狩りのような事もせいぜいドイツ位までで、あまり厳しくなかったようだ。ウラル地方はチベット仏教と共通する部分も多いし、ウラルから広がった部分もあるとも聞いた事がある。
言語が最初は、そういう何かはっきりしない事との境がない時代だったから、感覚的に色んなまじないが各地に生まれていて、物質文化になると、消えてしまう。ジプシーなどのように、貧しそうな人々の中では、普通にされているようだけど、
日本では恵まれて生きている。
アフリカや南米ではまだありそうだけど、アヤワスカも今は偽物だと聞いた事がある。
元々の言語を探っていくと、何か分かってくる。
今は今で、また違った今でしか感覚的に生まれにくい新しい感覚でのエネルギー的な事が起きている。
陰陽五行での、流れで、誰が最も強いとかがなく、循環しているように見えるけど、そうでもないような気もする。循環を上手くすれば良いような。
タイミングとはリズムなので、音楽とか何かのリズムを自然に出来ていたり、
自然の文化を知って、使い分けが出来ると、
どんな事にでも生かせる気がする。
何かイメージすると、そのエネルギーのイメージがあって、どこかのイメージにはそのエネルギーがあって、人でも皆んな個々のエネルギーがある。言葉を使ったら、そうなるというエネルギー。ストレス感覚を修正しようとすると、マイナス感情が薄くなったり消える事も可能かもしれない。
未来も計画してたら、予定通りに進めやすい。けど、道やエネルギーも混んでいたら、スムーズにいくとは限らない。道を整えるようにすると、事が運びやすい事もある。言葉にするとイメージしやすくなったり、思考も明確になって気持ちやエネルギーが整う事がある。
だから、誰かと同じというよりは、自分だけの目標や道だと混み合う事がなく、進みやすい。道がないとラッセルが必要か。だから、仲間がいた方が良いのかな。