随分更新が滞ってしまいました。
この間、NPO法人の登記のこと、雇用のこと、キャリアコンサルタントの一次試験等々・・・
やらなくちゃいけないことが満載で、怒濤のごとく過ぎていった感じでした。
まだまだ処理しないことも考えなくちゃいけないことも山積みですが、
一つずつ進めていきたいと思います。
さて、10月からどりぃむスイッチでは開放時間を10:00~17:00と拡充しています。
それに併せてプログラムも一新し、皆さんの役に立ちそうな講座をいろいろ用意しました。
今後も試行錯誤しながら、よりよい支援が行えるよう、スタッフの皆と力を合わせて頑張っていきたいと思っています。
ところで、先日行った”自助会~このまま終わりたくない~”で、とても良い気づきを得ました。
ある方が、日常生活のふとした瞬間に、過去のとても嫌な場面がフラッシュバックするような感覚があるということを話されました。
その際、心理カウンセラーの先生がこんなふうに問いかけをされました。
「そのことを誰かに話しましたか?」
すると、その方は特に誰かにそれを話したりはしなかったということでした。
「話すって実はとても大切なことなんですよ・・・」
心理カウンセラーの先生は、そう言って、言語化することの大切さを伝えて下さいました。
人は、何か嫌なことがあったとき、それを友だちや家族に何気なく話したりします。
「ちょっと聞いてよ。実はこの前こんなことがあってさ・・・」
そうして人は、出来事を言語化するという作業を何気にやっているのです。
すると・・・『あー、自分は本当に嫌だったんだなぁ』と再認識するとともに、
『まぁ、起きたことは仕方ない』とか、なにか、受け流せるようになったりする。
嫌な思い出や、気持ちが、消えて無くなるわけではないのだけど、
『そこに嫌な思い出(もしくは思い)がいるな』と意識しつつも、
少し気にならなくなる。
話すこと、言語化することって、凄く大切だって。
私は、カウンセリングというのも、一つはそこに大きな意味があると思います。
そういえば、私も過去にいろいろな思いがこんがらがっているとき、
心の中に溜めきれなくて紙に全部書き出したことがあります。
全部出してスッキリしたら、それを整理し始めるんです。
自分は、どれが一番問題だと感じているんだろう。
優先順位は?
じゃあ、今どうしたらいいんだろう?
今振り返ると、それはセルフ・カウンセリングみたいなものだったなぁと思います。
誰にも話せないときはそんな方法も仕方ないと思いますが、
話し相手がいるのが一番良い気がします。
ちゃんと理解してくれる相手が・・・
私は相談を受けるとき、それを大切にしたいと思っていますし、
ちゃんと理解できる人でいるために、
ずっと自己反省、自己研鑽を忘れずに進んでいきたいです。
けれどこれからは、一人一人の方が前に進むお手伝いというだけの役目では済まなくなります。
経営という大きな大きな課題にも向き合わなくちゃいけません。
それは私にとって凄く大変なことだけど、今までに出会った方々から教わった沢山のノウハウを思い出し、取り組まなくちゃいけないと思います。
福祉的というのは、優しい反面、生産性が悪かったり成り立たなかったりというケースが多々指摘されていると思います。
優しくする、無償でする。それはある意味安易なこと。
有償化すれば、それは逆に自分たちがそれだけの価値を生み出さなければいけなくなります。
また、ただただ優しくすれば、社会の厳しさに耐える力はいつまで経ってもつきません。
優しいながらも、時には厳しく。目標に向かってブレない強さも持つこと。
安易な無償化より、適正な有償化。
それに伴って、プロ意識を持ち自己研鑽に励む自分たちへの厳しさ。
そして、ケースバイケースに対応する柔軟さ。
世の中は、そんなバランスが大切なのではないかと思います。
けれど今の社会は、少しアンバランスなように私には感じられます。
その崩れたバランスの溝を少し埋める。
それがどりぃむスイッチがやるべきことなのではないかと思っています。
この間、NPO法人の登記のこと、雇用のこと、キャリアコンサルタントの一次試験等々・・・
やらなくちゃいけないことが満載で、怒濤のごとく過ぎていった感じでした。
まだまだ処理しないことも考えなくちゃいけないことも山積みですが、
一つずつ進めていきたいと思います。
さて、10月からどりぃむスイッチでは開放時間を10:00~17:00と拡充しています。
それに併せてプログラムも一新し、皆さんの役に立ちそうな講座をいろいろ用意しました。
今後も試行錯誤しながら、よりよい支援が行えるよう、スタッフの皆と力を合わせて頑張っていきたいと思っています。
ところで、先日行った”自助会~このまま終わりたくない~”で、とても良い気づきを得ました。
ある方が、日常生活のふとした瞬間に、過去のとても嫌な場面がフラッシュバックするような感覚があるということを話されました。
その際、心理カウンセラーの先生がこんなふうに問いかけをされました。
「そのことを誰かに話しましたか?」
すると、その方は特に誰かにそれを話したりはしなかったということでした。
「話すって実はとても大切なことなんですよ・・・」
心理カウンセラーの先生は、そう言って、言語化することの大切さを伝えて下さいました。
人は、何か嫌なことがあったとき、それを友だちや家族に何気なく話したりします。
「ちょっと聞いてよ。実はこの前こんなことがあってさ・・・」
そうして人は、出来事を言語化するという作業を何気にやっているのです。
すると・・・『あー、自分は本当に嫌だったんだなぁ』と再認識するとともに、
『まぁ、起きたことは仕方ない』とか、なにか、受け流せるようになったりする。
嫌な思い出や、気持ちが、消えて無くなるわけではないのだけど、
『そこに嫌な思い出(もしくは思い)がいるな』と意識しつつも、
少し気にならなくなる。
話すこと、言語化することって、凄く大切だって。
私は、カウンセリングというのも、一つはそこに大きな意味があると思います。
そういえば、私も過去にいろいろな思いがこんがらがっているとき、
心の中に溜めきれなくて紙に全部書き出したことがあります。
全部出してスッキリしたら、それを整理し始めるんです。
自分は、どれが一番問題だと感じているんだろう。
優先順位は?
じゃあ、今どうしたらいいんだろう?
今振り返ると、それはセルフ・カウンセリングみたいなものだったなぁと思います。
誰にも話せないときはそんな方法も仕方ないと思いますが、
話し相手がいるのが一番良い気がします。
ちゃんと理解してくれる相手が・・・
私は相談を受けるとき、それを大切にしたいと思っていますし、
ちゃんと理解できる人でいるために、
ずっと自己反省、自己研鑽を忘れずに進んでいきたいです。
けれどこれからは、一人一人の方が前に進むお手伝いというだけの役目では済まなくなります。
経営という大きな大きな課題にも向き合わなくちゃいけません。
それは私にとって凄く大変なことだけど、今までに出会った方々から教わった沢山のノウハウを思い出し、取り組まなくちゃいけないと思います。
福祉的というのは、優しい反面、生産性が悪かったり成り立たなかったりというケースが多々指摘されていると思います。
優しくする、無償でする。それはある意味安易なこと。
有償化すれば、それは逆に自分たちがそれだけの価値を生み出さなければいけなくなります。
また、ただただ優しくすれば、社会の厳しさに耐える力はいつまで経ってもつきません。
優しいながらも、時には厳しく。目標に向かってブレない強さも持つこと。
安易な無償化より、適正な有償化。
それに伴って、プロ意識を持ち自己研鑽に励む自分たちへの厳しさ。
そして、ケースバイケースに対応する柔軟さ。
世の中は、そんなバランスが大切なのではないかと思います。
けれど今の社会は、少しアンバランスなように私には感じられます。
その崩れたバランスの溝を少し埋める。
それがどりぃむスイッチがやるべきことなのではないかと思っています。