小学生の時、背の小さかった男の子が、中学生になってみるみる大きくなったり・・・
皆さんの周りにもそんな子がいませんでしたか?

身体的な成長のスピードが違うことを私たちは良く知っています。
「男の子は急に大きくなったりするからね」
と普通に話したりします。

けれど、心の成長、内面的な変化は目に見えません。

身体的な成長に個人差があるのですから、
内面的な成長に個人差もあって当たり前ではないでしょうか?

それなのに、私たちは比較的内面的な個人差に無頓着な気がします。

「○年生なんだから、これくらい出来て当たり前でしょ。」
私もそんな言葉を平気で口にしてたような気がします。

小学1年生の小さな背の子に、
一番大きな跳び箱を跳んでみせろとは言いません。
見た目で無理だと分かるからです。

けれど、内面的な部分は分かりにくい。
分かりにくいけど、
身体的な個人差より
内面的な個人差の方がずっと大きいかもしれません。

私はKと接しながら、中味は小さい子みたいだな・・・と思っていました。
表面上大人びたことを言うし、難しい言葉を遣ったりしますが、
感覚的に幼い感じがするのです。

けれどKは身体が大きいので、
なかなかそうは見てもらえません。

中学校でも、
「出来るのにやらない」
「なまけている」
と担任の先生にも校長先生にも言われました。
教頭先生だけが理解して下さっていたようで、
いつも声をかけてくれたそうです。

『指示が通らない』と言いますが、
Kは言われたことがなかなか出来ませんでした。
教頭先生は、私にこんな風に説明して下さいました。

「車の音、気になりますか?
 私たちは雑音をシャットダウンして、
 聞くべきだと自分が思っていることだけ聞いているんです。
 K君はそこが上手くいかないんじゃないでしょうか。」

こうした部分は本当に分かってもらいにくく、
本人もそれが人と違うことも分からず、
説明も出来ないことが多いです。

「なぜ聞かないのか?いい加減に考えているのか?」
そう言われても困ってしまうのです。
挙げ句に机を蹴り上げられます。
本人は、ただ、じっと耐えるだけです。
嵐が過ぎ去るのを待つように。

こういう子たちの困難は、
親にも先生にもなかなか理解してもらえません。
親からは、もっと出来るはず!と期待され、
先生からはしっかりしろと檄を飛ばされ、
そうしたいのはやまやまだけど・・・とため息をつくのです。

私がやっと「この子の中味はまだ幼いんだ」と
本当に受けとめられるようになったのは、
中学3年を不登校で過ごし
高校に入って1週間で行けなくなった頃からだろうと思います。

私の両親が何かに腹を立てている時も、
Kをもっと小さい子だと思ってくれと頼みました。
この子はゆっくり成長するんだと思う、だから待って欲しいと。

そんなKも、成長してきたなと感じているのが今です。

Kは週2回のコースで通信制の高校に通っています。
姉は高校3年生の夏まで公立の高校に通っていたので
その違いには改めて驚いているのですが、
その週2回の学校に行くのも大変そうです。
最初はやっと通っていた感じでした。
今も行きたくはないそうで・・・

「あ~学校行きたくない~
 でも行かないと試験落とすからな~、
 あ~でも行きたくない~本当嫌だわ」
と言っています。

そう言いつつ、いつもより早く寝るK。

「そんなこと当たり前じゃない!」
と怒鳴りつけてばかりいたら、
今の自制心が身についていたかな・・・
こうして外に出て皆の中に入り、
談笑し、冗談を言い、愚痴をこぼし、
自分なりに考えて行動していたかな・・・。

もしかしたら、頑なになって部屋から出てこなかったかもしれません。

勉強が苦痛だと感じる時期もあれば、
時が過ぎれば、
そうでもないと感じるようになったりします。

学校のカリキュラムを全員が同じスピードでこなすことの方が、
実は不思議なことなのかもしれません。

時が来れば出来るようになる。

けれど、それまでの間に無理強いしたり否定することで、
二次障害になってしまうとその後が大変です。

諦めるのではなく、待つ。

遊びも成長の機会です。
どんなことでも良いから、やりたいことを中心に体験を増やしながら、待つ。

不登校の子や学校を中退して間が無い子のご家族は
どうしても早く学校に戻したいようですが、
焦りすぎないことが大切だと思います。
土台がまずしっかりすること。
形にこだわるより、結果的には近道だと私は思います。