最近”幸せ”について凄く考えています。
これからの世の中、特に日本では、とても重要な意味をもつと思うからです。
私には、何だか多くの人が良く分らない”普通の幸せ”というものによって
縛られているような気がします。
そして縛られた結果、負のスパイラルに落ちてしまっている気がします。
どんな状況でも幸せを感じろっていうのではありませんが、
自分にとっての幸せをしっかりと見つめ直して
それに向かって一歩でも二歩でも歩み続けることの方が
幸せに近づいていくと思うし、
心が自由で毎日楽しいし、
実際に良いことが起きていくと感じています。
これは私自身の実感です。
だけど”普通の幸せとはこうだ”とか、
”普通はこうあるべきだ”という思いを強く持っている人たちがいます。
その普通は、もはや今の日本やこれからの日本では、
普通ではないと思うのです。
普通と思っているものは、
現実には少し高い理想になってしまっていると思うのです。
それに追いつかない自分がダメだというのも、
思い込みではないかと思います。
日本は生活レベルが上がりすぎました。
世界の中でこんなに、
物が溢れ、安心安全で、清潔な国は他にどれくらいあるでしょう?
日本の普通は決して世界で見ると普通ではありません。
そして、その日本の普通を支えてきた経済成長は、
今後は縮小していかざるを得ないと思います。
人口構造がそうだし、教育も時代遅れ過ぎています。
政策的にはいろいろ頑張っているので、
部分的な成長分野はあると思います。
けれど国全体が豊かになる程の経済成長は難しいと思います。
その中で皆が所得を増やすことは不可能です。
職を持つことさえ難しい点を解消するには
世の中の概念や構造を変える必要があると思います。
それにも”幸せ”の基準を変えることが必要だと思うし、
個人が自己実現して幸せを掴んでいくためにも、
幸せって何だろう?と考え直す必要があると私は思います。
普通に到達していない自分はもうダメだと思う。
そして自分を追い詰めた結果、
パフォーマンスが下がったり
モチベーションが下がったり・・・
出来ていたこともできなくなる。
何もしたくなくなったり、人と会うのも嫌になる。
幸せからは真逆の方向へ向かってしまう。
何もしなくて人と会わなくても幸せでいられるなら
それはそれでアリだと思いますが、
そんな人はごく少数ではないかと思います。
ある程度のお金は必要だし、
少しは人と関わる方が
一般的には幸せを感じる人が多いと思います。
私は父より小さい頃から言われてきた言葉があります。
「”ベスト”より”ベター”」
一番良いものを目指して到達しないくらいなら、
今より良いものを目指しなさいという意味です。
母は、一流を目指すならそれではダメだと言いますが、
私は一理ある考え方だと思っています。
最終目標は高く掲げつつも、
ベターの階段を踏んでいく方が現実的という場面は良くあります。
最近、ある人から聞いたこんな言葉も印象に残っています。
「時々、少し前の自分と比べる。」
そうすることで、自分が成長していることや、
少しずつ変わっていることを実感するのだそうです。
そんな時、前は出来なかったことが出来たなと感じ
幸せに思うことが出来たら、
モチベーションが上がり更に前に進めるかもしれません。
”良く分らない普通”にとらわれ、
普通からすれば全然到達していないんじゃないか?
と自分の価値を認められなかったり
幸せを感じることが出来なかったりする。
これはそう考える人が悪いというよりも、
社会、学校教育、家庭などの環境から
その価値観を身につけてしまったせいだと思います。
『間違った学習』というものですね。
勿論高い収入を得ることが何より幸せだと思う人は、
しっかり学習し高い教育レベルとソーシャルスキルを身につけて、
世界でも勝ち抜いていけるような力を付けると良いと思います。
これからの日本では
格差社会も促進されると思います。
格差社会だ、勝ち組・負け組だといった言葉を作った人も
私は罪だと思いますが、
過去に普通だったものは実現するのは難しく、
世界で勝ち抜ける力を身につけて自己実現していく人と
そういうものを目指さない人がいる世の中になると思います。
繰り返しますが、
過去の”普通”は実現が難しくなっているのです。
つまりもはや”普通”ではないのです。
どういう幸せを目指すのかは自分が見つけるのです。
自分らしい幸せを見つけて、
「これが私の幸せ」
と言えるようなライフスタイルを見つけていく力が
必要になると思います。
実際には幸せを感じる基準となるであろう価値観は
人それぞれ違うのに、
日本人は特に皆同じものを実現しないと
幸せじゃないような変な常識を共有している気がします。
幸せは人それぞれ違うんです。
”普通の幸せ”なんて本当は元々ないんですよね。
これからの世の中、特に日本では、とても重要な意味をもつと思うからです。
私には、何だか多くの人が良く分らない”普通の幸せ”というものによって
縛られているような気がします。
そして縛られた結果、負のスパイラルに落ちてしまっている気がします。
どんな状況でも幸せを感じろっていうのではありませんが、
自分にとっての幸せをしっかりと見つめ直して
それに向かって一歩でも二歩でも歩み続けることの方が
幸せに近づいていくと思うし、
心が自由で毎日楽しいし、
実際に良いことが起きていくと感じています。
これは私自身の実感です。
だけど”普通の幸せとはこうだ”とか、
”普通はこうあるべきだ”という思いを強く持っている人たちがいます。
その普通は、もはや今の日本やこれからの日本では、
普通ではないと思うのです。
普通と思っているものは、
現実には少し高い理想になってしまっていると思うのです。
それに追いつかない自分がダメだというのも、
思い込みではないかと思います。
日本は生活レベルが上がりすぎました。
世界の中でこんなに、
物が溢れ、安心安全で、清潔な国は他にどれくらいあるでしょう?
日本の普通は決して世界で見ると普通ではありません。
そして、その日本の普通を支えてきた経済成長は、
今後は縮小していかざるを得ないと思います。
人口構造がそうだし、教育も時代遅れ過ぎています。
政策的にはいろいろ頑張っているので、
部分的な成長分野はあると思います。
けれど国全体が豊かになる程の経済成長は難しいと思います。
その中で皆が所得を増やすことは不可能です。
職を持つことさえ難しい点を解消するには
世の中の概念や構造を変える必要があると思います。
それにも”幸せ”の基準を変えることが必要だと思うし、
個人が自己実現して幸せを掴んでいくためにも、
幸せって何だろう?と考え直す必要があると私は思います。
普通に到達していない自分はもうダメだと思う。
そして自分を追い詰めた結果、
パフォーマンスが下がったり
モチベーションが下がったり・・・
出来ていたこともできなくなる。
何もしたくなくなったり、人と会うのも嫌になる。
幸せからは真逆の方向へ向かってしまう。
何もしなくて人と会わなくても幸せでいられるなら
それはそれでアリだと思いますが、
そんな人はごく少数ではないかと思います。
ある程度のお金は必要だし、
少しは人と関わる方が
一般的には幸せを感じる人が多いと思います。
私は父より小さい頃から言われてきた言葉があります。
「”ベスト”より”ベター”」
一番良いものを目指して到達しないくらいなら、
今より良いものを目指しなさいという意味です。
母は、一流を目指すならそれではダメだと言いますが、
私は一理ある考え方だと思っています。
最終目標は高く掲げつつも、
ベターの階段を踏んでいく方が現実的という場面は良くあります。
最近、ある人から聞いたこんな言葉も印象に残っています。
「時々、少し前の自分と比べる。」
そうすることで、自分が成長していることや、
少しずつ変わっていることを実感するのだそうです。
そんな時、前は出来なかったことが出来たなと感じ
幸せに思うことが出来たら、
モチベーションが上がり更に前に進めるかもしれません。
”良く分らない普通”にとらわれ、
普通からすれば全然到達していないんじゃないか?
と自分の価値を認められなかったり
幸せを感じることが出来なかったりする。
これはそう考える人が悪いというよりも、
社会、学校教育、家庭などの環境から
その価値観を身につけてしまったせいだと思います。
『間違った学習』というものですね。
勿論高い収入を得ることが何より幸せだと思う人は、
しっかり学習し高い教育レベルとソーシャルスキルを身につけて、
世界でも勝ち抜いていけるような力を付けると良いと思います。
これからの日本では
格差社会も促進されると思います。
格差社会だ、勝ち組・負け組だといった言葉を作った人も
私は罪だと思いますが、
過去に普通だったものは実現するのは難しく、
世界で勝ち抜ける力を身につけて自己実現していく人と
そういうものを目指さない人がいる世の中になると思います。
繰り返しますが、
過去の”普通”は実現が難しくなっているのです。
つまりもはや”普通”ではないのです。
どういう幸せを目指すのかは自分が見つけるのです。
自分らしい幸せを見つけて、
「これが私の幸せ」
と言えるようなライフスタイルを見つけていく力が
必要になると思います。
実際には幸せを感じる基準となるであろう価値観は
人それぞれ違うのに、
日本人は特に皆同じものを実現しないと
幸せじゃないような変な常識を共有している気がします。
幸せは人それぞれ違うんです。
”普通の幸せ”なんて本当は元々ないんですよね。