笑顔の子どもたち

人生はいろいろな道があって良い。
そんな簡単なことが、そう思えない。
何故?

安定を求め、豊かさを求め、人と違うことを恐れ、
精神論至上主義の多くの日本人。
その先に何が待っているのでしょうか?


スパルタにも一定の効果がある。
けれど、自殺とか・・・そこまで追い詰める必要があったのか。
そんなつもりじゃ無かった、では済まない結果になっています。
追い詰めたのは、多分先生だけじゃなく、周りの大人たちも・・・
勿論そんなつもりじゃなかったと思います。
子どもの為にと思ってやったこと、多分そうだと思うんです。

「今の子は弱い」
そういう言葉を良く聞きます。
そうですね・・・そうかもしれません。
けれど、事実そう感じているなら、加減する必要があるのではないでしょうか?

柔らかい新芽を叩きすぎたら、潰れてしまいますよね。

麦は踏まれて強くなる。
だから踏んで踏んで、もっと強くするんだ!

でもね、麦じゃない子が増えているならば、
強くするにも違う方法を考えたり、加減したりする必要があるんじゃないでしょうか?

子どもの方が変われ!というなら、
子どもの育て方や子どもを取り巻く環境を
先に変えないと
いけないんじゃないでしょうか?

大人の方が経験豊富で分別できるはずで、
未熟な子どもに、(勝手に)強くなれ!というのは
いささか横暴なのではないかと思います。

精神的に弱い・・・ならばこそ追い詰めちゃいけないし、
育て育むゆとりが大人になければ、
上手く成長できない次世代は益々増えるのではないでしょうか?

上手く成長できない次世代が増えれば誰が困るのでしょう?
私たち大人も困るんじゃ無いでしょうか?


おじいちゃんが孫を手にかける・・・
これだって、報道が真実ならば
本当にそれしか道は残されていなかったのかと
理不尽に思えてなりません。

単なる思い込み・・・では無いでしょうか?
本当に死ななきゃいけないようなことなんて、
実際にはどのくらいあるのか。

日本はとっても恵まれているのに、
恵まれすぎていて実体を見失っているようです。



心は目に見えません。
けれどプラスに作用するか
マイナスに作用するかで
全く違う世界をその人の中に作り上げてしまいます。


こうも考えられる・・・
こんな方法もあるといろいろな選択肢を考えられる力。

自分たちの価値観や方法論を一方的に押しつけず、
子どもの意見を聞いて導く力が必要です。


違う答えを出すことを許さない・・・
そんな狭い価値観や了見を持った
指導者や大人が多いように感じます。


これ・・・自分の反省も含めて言っています。

私も子どもに自分の意見を押しつけたり、
子どもの言い分を押さえつけたりしていました。
勿論、良かれと思ってのことです。
それに自分たちが子どもの頃は、
そんな風に言われたからだと思います。



でも、子どもを取り巻く環境はあまりに変わりすぎているのです。
それに教育機関も親もついていけてない。
そんな気がしてなりません。

70~80%の子は、それでも折り合いをつけて
ついて行っているのかもしれません。

けど、草食系とかニートとかひきこもりとか・・・
表現する言葉がいろいろ増えたけど、
確実に大人しい子が増えていると思います。

大人に反発したり、言い返したり出来なくて、
どうせ無駄だとか、
あきらめたり他に方法が無いと追い詰められたり、
そんな事例が沢山あるのだから
私たちはそこから学ばなければいけません。

子どもたちが育つ環境が変わってしまっているから、
人格形成にも影響を与えていても不思議は無い。
情報も山ほど手に入るから、価値観が多様化していて当たり前。

カテゴリが凄く増えている。価値観が変わってる。
精神構造も変わってる。


そんな状況をふまえて、
私たち大人がバージョンアップした考え方で
指導したり育てたりしないといけないんです。

子どもの育ちに必要だと思うことを、
幼児時期には注意深く与え、教える必要があります。

昔なら子ども同士で遊びながら、もまれる中で育った力。
体を使って遊ぶことで鍛えられた力。
ゆとりある親子関係の中で育まれた人間性。

それらがあるものだ、
てっきり育っているものだと思っていたら、
見当違いな対応をしてしまうかもしれません。

子育ての常識も、時代に合わせてバージョンアップしないといけないんです。
ただ今の子たちを否定するだけでは、何の解決にもならないんです。

いろんな選択肢があって良いんだ。
いろんな考え方の子がいて当たり前なんだ。
いろんな人生があって良いんだ。

そんな考え方の上で、
経験上大切だと思う事は根気よく教えていく。
加減をしながら繰り返し教えていく。

よりそい、育み、育てる人間力。
そして子どもたちが目標にしたくなるような自分自身でいること!
それが私たち大人世代に足りていないのだと
自己反省する必要があるのではないでしょうか?