8章 量子重力を求めて

1 はじめに

ペンローズは前の第7章で、宇宙の時間非対称性を説明するには量子重力論が必要であることを主張した。この第8章は、その量子重力論についての説明である。ただし、量子重力論は未完成の理論なので、推論を多く含む内容になっている。

2 量子重力論の2つの性質

本書でペンローズが量子重力論に含まれるべきだと主張する主要な内容は、ワイル曲率仮説(WCH)と波動関数の崩壊(R)の2つだ。なおペンローズは、著者がそうあるべきと考える量子重力論を「正しい量子重力論」(CQG)と呼んでいる。

ペンローズによれば、CQGは時間非対称の理論であるべきだという。ビッグバンの特異点においてWEYLがゼロだったことがその明白な徴候であるという。ペンローズは、WEYLがゼロだったことで熱力学の第2法則が生じ、それによって時間の方向が生じたのではなく、そもそも物理法則が時間非対称だからこそWEYLがゼロになったのだと考えるようだ。

そして、その時間非対称性は波動関数の崩壊(R)によってもたらされる。さらに、波動関数の崩壊は、量子状態に「ある大きさの時空湾曲」が導入されたときに生じるのであり、その「ある大きさの時空湾曲」が重力子なのである。

3 ワイル曲率仮説と波動関数の崩壊

また、CQGはワイル曲率(仮説)WCHを含む。そして、WHCとRは次の点で強く関連している。

ホーキングの箱とよばれる思考実験、すなわち、非常に大きな箱に非常に大きい全質量をもつ何らかの物質が閉じ込められているという実験を考える。ホーキングの箱の内容の位相空間を考えたとき、やがて生じるブラックホールは、情報を破壊することにより位相空間のベクトルの流線を「合流」させる。その場合、位相空間でリウヴィルの定理(位相空間のいかなる領域の体積も一定に保たれる)が成立するためには、合流して減少してしまう流線を補うものがなければならない。

ホーキングはこの点、ブラックホールの時間反転とみなせる「ホーキング放射」が流線の減少を補うと考えているようだ。そして、ホーキングによればブラックホールの時間反転はホワイトホールにほかならないので、ホワイトホールの存在を否定するWCHとホーキングの立場とは相容れないこととなる。そこでペンローズの立場では、流線の減少を補う他の何かが必要である。

ペンローズは、それがRであるという。量子状態がありうべき複数の結果の重ね合わせであることから、Rによって流線が分岐するという。 (なお、ペンローズによれば、量子状態に関する考察を含むこの議論では、本来なら位相空間ではなしに、ヒルベルト空間を用いるべきだったろうということだ。ただそれだとかえって分りにくくなる部分があるので、あえて位相空間で説明したとのこと。)

さて、ようやくこれで道具がでそろったことになる。ペンローズが意識の属性として指摘した計算不可能性と時間非対称性は、ともに量子重力論の中でRの仕組みとして解明されるはずだ、ということになるだろう。

では、ここまで論じてきたことが結局人間の意識とどう関係するのだろうか。次の9章で人間の脳と意識の構造を考察し、最後の10章でペンローズの立場が説明される。

4 個人的な疑問-量子消去ほか

この章で私が疑問に思ったことが2つほどあった。

まず、量子重力論によれば「手順Rはまったく客観的な仕方で自発的に起こり、いかなる人間の関与も受けない」(416頁)とされることだ。しかしこの考え方からすると、量子消去と呼ばれる現象はどう解釈するのだろう。

量子消去とは、たとえば二重スリット実験で、粒子の経路を特定したがために干渉縞が消えてしまう場合でも、さらにその後の経路において、特定された経路を不明にするような操作を行うと干渉縞が復活するような現象だ。

最初の経路測定においてRが「まったく客観的な仕方で自発的に起こり、いかなる人間の関与も受けない」のならば、その後に経路情報を失わせる操作が行われたとしても干渉縞は復活しないと思えるのである。

もうひとつは、波動関数の崩壊(手順R)が時間非対称だということの意味である。ペンローズは、知られている未来の状態から、ある過去の状態の確率を知るために、Rを逆向きに計算しようとすると誤りに陥ることから、Rを時間非対称だとしている。しかし、R自体はある計算手順にすぎないので、これを用いてある過去の状態の確率を計算できないとしても、それが手順の不備なのか、物理法則自体が時間非対称なのかは、わからないように思うのだ。この点、著者がどう考えているのか、読んでいてよくわからなかった。