少し前に読んだ、矢代秋雄の対談集「音楽の世界」(音楽之友社)の内容について、印象的だった箇所をメモ。僕は作曲家の言葉が好きである。どこからか借りてきたような言葉がない。そこからすると、音楽評論なんて実に恐ろしい仕事である。 矢代秋雄といえば、やはりまずフランス流の古典主義者、完璧主義者。そして寡作で、夭逝した天才作曲家というイメージだったが、これを読んでそれも少し変わった。特に諸井三郎や伊福部昭からの影響が大きいということなど、少し驚いた。

ブルックナーに言及して

「それから僕、ブラームスが好きだし、それからブルックナーはね、そりゃ、ずい分立派な音楽家だと思うけど、作品がまずく書けてる部分が非常に多いでしょ。無駄な部分だとか、それから書き方があんまり緻密でない部分がね。そういうものが出てくると僕はやっぱりとてもいやになっちゃうのね。」

交響曲の8番は「すばらしい作品ですよ。8番というのはね、ちょっと難しい曲なんだな。それに割に、ブルックナーには珍しく、何と言ったらいいかな、すごく官能的な曲でしょ。ブルックナーにしては非常に珍しいですね。あ、あの8番のさ、アダージオの楽章なんてね、全然『トリスタン』だと思わない?『トリスタン』よ、あれ。」

偶然性の音楽について 「まずあれは作曲家の職場放棄ですよね。僕はあれずい分おかしな話だと思う。」

フランス音楽について
「私はフランスの作曲家の中で印象派に分類される人、きわめて通常な意味でフランス的な作曲家、というのはあんまり好きじゃないんです。だから、フランスの作曲家の中で、いちばん好きなのはセザール・フランクですね。フランクこそは自分の出発点だと思ってる。あとはヴァンサン・ダンディ、それからポール・デュカスまたはフローラン・シュミット、ルーセルとか。どうしても、ああいう作曲家のほうが好きなんだね。」

ショパンのマズルカについて
「そして、作品59、3つの有名なのね、あれがマズルカの、頂点になるわけです。なぜ、ぼくがマズルカに特に興味があるのかというと、マズルカにおけるショパンが、異常に早熟だということです。同じ時代のほかの作品とくらべたとき、マズルカだけずっと先へ進んでいるってな感じがするんですよ。」

それと文中で、矢代はウェーバーの変イ長調のソナタは、少なくともベートーヴェンのワルトシュタインやアパッショナータと同格に評価されるべき、ロマン派ピアノ・ソナタの出発点であると言っていた。ウェーバーといえばせいぜい「魔弾の射手」(しかも序曲だけ)くらいしか知らないので、そのソナタも、ぜひ聴いてみたい。