「苦しみはそれ自体としては無意味である。私の苦しみも、他者の苦しみも、その苦しみの極限に死がある。だから、死こそ極限の無意味である。私の死も、他者の死も。しかし、死ぬ者があげる呻き声が、助けを呼ぶ叫びが、他者を求めるとき、そこに他者の応答が現れるならば、そして、それによって間人間的な対話(絆)が生まれるならば、この対話(絆)が苦しみを一挙に有意味化する。苦しみは意味をもつ。(中略)他者も苦しむ者として、私も苦しむ者として、人間はすべて孤独と死のうちに見棄てないでくれ、と叫んでいる。このとき、私が他者の呻きを聞き取って、かれの傍らに走り寄ることができれば、あるいは、他者が私の呟きを感知して声をかけてくれるならば、そのとき、対話がおこり、深淵の跳び越えが起こり、苦しみと死が意味をもつであろう。意味は「間人間的」なものとして到来するであろう。」