5 古典的世界
ここまで、意識とアルゴリズムの関係を理論的に検討してきた結果、意識の働きはアルゴリズム的ではないことが明らかになった。この第5章からは、アルゴリズム的でないものが現実の物理的世界のどこに存在することができるのかを探求することになる。
まずは、量子論以前の古典的物理学の検討である。ペンローズの問題意識は次のようなものだ。
な お、ペンローズは、「決定論」の問題と計算可能性の議論をはっきり区別すべきことに注意をうながしている。例えば、ペンローズはニュートン的ビリヤード・ ボール・モデルにおいて「AははたしてBに衝突するだろうか」という問いは計算可能ではないと推測する(195頁)。しかしこの場合、結果が計算可能でな いとしても、結果は決定論的には決定されているといえるだろう。
ペンローズの結論は、古典的物理学としてここで紹介されているユークリッ ド幾何学、ニュートン力学、マクスウェルの電磁理論、アインシュタインとポアンカレの特殊相対性理論、アインシュタインの一般相対性理論の中には、人間の 脳が利用できるような計算不可能な要素は存在しない、というものである。
ここまで、意識とアルゴリズムの関係を理論的に検討してきた結果、意識の働きはアルゴリズム的ではないことが明らかになった。この第5章からは、アルゴリズム的でないものが現実の物理的世界のどこに存在することができるのかを探求することになる。
まずは、量子論以前の古典的物理学の検討である。ペンローズの問題意識は次のようなものだ。
「私が提起しようと試みている論点は、人間の脳が適当な「計算不可能な」物理法則を利用することで、テューリング機械よりもある意味でうまくやれることは考えられるか否か、ということである。」(197頁)つまり、物理的計算可能性の議論である。古典的物理学の中に、計算不可能な部分はあるのだろうか。
な お、ペンローズは、「決定論」の問題と計算可能性の議論をはっきり区別すべきことに注意をうながしている。例えば、ペンローズはニュートン的ビリヤード・ ボール・モデルにおいて「AははたしてBに衝突するだろうか」という問いは計算可能ではないと推測する(195頁)。しかしこの場合、結果が計算可能でな いとしても、結果は決定論的には決定されているといえるだろう。
ペンローズの結論は、古典的物理学としてここで紹介されているユークリッ ド幾何学、ニュートン力学、マクスウェルの電磁理論、アインシュタインとポアンカレの特殊相対性理論、アインシュタインの一般相対性理論の中には、人間の 脳が利用できるような計算不可能な要素は存在しない、というものである。
「私 がこれまで論じてきたどの物理理論にも、何か重要な「計算不可能な」要素があるとは、とても考えにくい。これらの理論の多くでは、「カオス的」振舞い、つ まり初期データに非常にわずかな変化が起きても結果の振舞いに巨大な違いが引き起こされる事態が生じることが確かに予想される。しかし、前に述べたよう に、この型の計算不可能性――すなわち「予測不能性」――が、物理法則のありうべき計算不可能な要素を「手なずけ」ようと試みる装置に、どのように「利 用」されるのかは理解しがたい。もし、計算不可能な要素を何とか利用することが「心」にできるとすれば、それらは古典物理学の外部にある要素に相違ないよ うに見える。」(245頁)後の章で示されるように、物理的計算不可能性は量子論の中に見出されるというのが ペンローズの主張なので、古典物理学に関するこの第5章での検討はわりとあっさりしている(だからといって分り易いというわけではないが・・・)。結論を 理解したら、あとは古典物理学に関する素晴らしいエッセイとして読めばよいと思う。ただ、第7章「宇宙論と時間の矢」の前提知識を提供する意味合いもある ので、後でまた読み返すことになるだろう。