週刊朝日2008年6月6日号では、土本武司(元最高検検事)が、自身が死刑を求刑し、死刑判決が確定し、そして執行された、ある死刑囚についてが語っている。
長 谷川武死刑囚は、40年ほど前に、住宅街の一軒家に押し入って主婦をメッタ刺しにして殺害し、わずかな金品を奪った犯人。当時22歳、まだ少年の面影の残 る青年だったという。取調べでは、勤めていた塗装店を解雇され借金の返済ができず困窮、父親は交通事故死、弟は家出、駅前で新聞販売している母親との二人 暮らしで生活に苦しくて強盗をしたと動機について供述した。担当検事であった土本氏は、死刑を求刑した。最高検検事として退官するまでの28年間で、死刑 を求刑した唯一の事件であった。被害者は一人。量刑の「相場」からすると無期懲役になるのではないかという土本氏の予想を裏切って、判決は死刑。その後、 最高裁まで争われたが、判決は覆ることはなく確定した。
第一審判決後、拘置所の住所から土本氏に手紙が届く。差出人の名が、自らが死を突 きつけたその長谷川死刑囚であると分かった瞬間、体がこわばったという。しかしその内容は意外にも、取調べの時に、仕事場からの解雇、貧しい家庭環境や家 族事情等について、彼の話にとことん耳を傾けた土本氏への感謝の言葉だった。
その手紙に土本氏が返信したことで、その後も手紙のやりとり がなされるようになった。長谷川死刑囚の最期の時までの間に、9通の手紙が土本氏に届けられた。自分のしたことへの悔悟、独房の中でそれまでの時間を取り 戻そうとするかのように勉強する様子などがつづられていた。そのうちに、独房で飼育を許されたという文長について触れた文章が目立つようになってゆく。
死刑確定から3年半がすぎたある日に届いた9通目の封書は、ひどく薄かった。手にした時、土本氏は予感したという。
現 在の鳩山法相は、昨年9月の再任以来、13人という非常に速いペースで死刑を執行している。執行のニュースが流れるたび、ブログやYahooニュース等の コメント欄には、当然だ、遅すぎるくらいだ、どんどん執行すべしというような内容の投稿があふれかえる。もちろんそうした大勢に疑問を投げかける意見もあ るが、少数に止まっているように見える。
法律がそう定め、国民がそれを支持する限り、法務大臣は死刑を執行しなければならない。それはも ちろん分かる。ただ、いったい、「死刑は当然」と考える僕たち国民のうち、どれほどが、死刑とは本当はいかなる刑罰なのか、死刑囚はどのような生活を送 り、何を考え、何ができ、何ができず、最後にどのように刑が執行されるのか、知っているだろうか。
それを知らずして、知ろうともせずして、ただ殺してしまえと叫ぶならば、それは、罪人と猛獣を戦わせ、その死に様に歓声を上げた古代ローマのコロッセオにおける蛮行と、本質において何の変わりがあるだろう。
上に引用した、土本氏へ届いた最後の手紙の末尾の日付の後には、「減燈後」と記されていた。当時は前日に執行が告げられていたため、電灯の明りが減じられた後に独房でしたためたのだろう。
現在、死刑囚には当日の午前8-9時頃に執行が告げられ、すぐその後、午前10時に執行されるという運用がなされている。弁護士はもちろん、肉親にも事前に告知されることはない。長谷川死刑囚のように、最期の手紙を書くことさえできない。
長 谷川武死刑囚は、40年ほど前に、住宅街の一軒家に押し入って主婦をメッタ刺しにして殺害し、わずかな金品を奪った犯人。当時22歳、まだ少年の面影の残 る青年だったという。取調べでは、勤めていた塗装店を解雇され借金の返済ができず困窮、父親は交通事故死、弟は家出、駅前で新聞販売している母親との二人 暮らしで生活に苦しくて強盗をしたと動機について供述した。担当検事であった土本氏は、死刑を求刑した。最高検検事として退官するまでの28年間で、死刑 を求刑した唯一の事件であった。被害者は一人。量刑の「相場」からすると無期懲役になるのではないかという土本氏の予想を裏切って、判決は死刑。その後、 最高裁まで争われたが、判決は覆ることはなく確定した。
第一審判決後、拘置所の住所から土本氏に手紙が届く。差出人の名が、自らが死を突 きつけたその長谷川死刑囚であると分かった瞬間、体がこわばったという。しかしその内容は意外にも、取調べの時に、仕事場からの解雇、貧しい家庭環境や家 族事情等について、彼の話にとことん耳を傾けた土本氏への感謝の言葉だった。
その手紙に土本氏が返信したことで、その後も手紙のやりとり がなされるようになった。長谷川死刑囚の最期の時までの間に、9通の手紙が土本氏に届けられた。自分のしたことへの悔悟、独房の中でそれまでの時間を取り 戻そうとするかのように勉強する様子などがつづられていた。そのうちに、独房で飼育を許されたという文長について触れた文章が目立つようになってゆく。
「手 元に居る文長もこのところ水浴びする回数が多くなり其の度に涼しさを呼んでくれます。洗面器に二三分の水を用意すると、其の中で、喜んでおります。水車の ように水をはじき、水面に頭を突っ込み目をパチクリさせております。僕の顔を見い見い水浴びを楽しんでおります。羽毛をびしょびしょにして水からあがる と、今度はせわしなくからだを震わせ水気を振り払うのです。ぼくら〇〇〇(ママ)に文長などあてがって頂き、これ程有難いことはございません。この文長に どんなになぐさめさせられてるか分かりません。」わずか3畳の独房から見える世界を観察し、誠実につづろうとするAの文章が、いつしか、死をもって罪を償うべきという土本氏の考えを静かに揺さぶるようになったという。
「カ ラスが小雀をかみ殺してしまった光景をみたのですが、其の時の親雀はあの小さなからだで、カラスに立ち向かっていき、小雀を取り戻そうとしたのですが、結 局はかなわず悲愴な鳴声をあげ逃げていったものの小枝の上でカラスをにらみ付け鳴いておりました。あの時程、カラスが憎いと思ったことがございませんでし た。と同時に、このぼくが、あのカラスだったのかと、自分を呪いました。(略)この ような人間を、いまさら殺す必要はあるのだろうか。土本氏はある日、とうとう上司に、自ら死刑を求刑した長谷川死刑囚の恩赦を願い出たいと打ち明けたとい う。死刑を求刑した検事が恩赦を求めるなど、自己否定そのものである。当然、思いとどまるように上司には説得された。
同じ生命を奪い、其の奪った行為は同じでもカラスの生存のためとは 違ってぼくの場合、自分の享楽が過ぎたものではないか。ぼくが何時、カラス程の生活苦にあえいだだろうか。何時人の生命を奪う程、ひもじい思いをしただろ うか。全然そんな経験はないのではないか。欲望が人一倍で、美食好色を求め、人の財を嫉妬し、怠慢の果てが自分を苦しめ、それが現在のぼくではないか。カ ラスにもおとるではないかと思いました。まったく恥ずかしいものです。」(以上は7通目の手紙からの抜粋)
死刑確定から3年半がすぎたある日に届いた9通目の封書は、ひどく薄かった。手にした時、土本氏は予感したという。
「検事さん逝く時が来ました。すぐに拘置所に電話した土本氏に返ってきたのは、「きのうの朝、執行しました」という短い返事であったという。
検事さんには長い間ご心配掛けました。
残念ながら時間がありませんので一言のご挨拶だけにとどめます。
検事さんのあの暖かいまなざしは最後の最後まで忘れません。
それではこれで失礼致します。」(9通目の手紙)
現 在の鳩山法相は、昨年9月の再任以来、13人という非常に速いペースで死刑を執行している。執行のニュースが流れるたび、ブログやYahooニュース等の コメント欄には、当然だ、遅すぎるくらいだ、どんどん執行すべしというような内容の投稿があふれかえる。もちろんそうした大勢に疑問を投げかける意見もあ るが、少数に止まっているように見える。
法律がそう定め、国民がそれを支持する限り、法務大臣は死刑を執行しなければならない。それはも ちろん分かる。ただ、いったい、「死刑は当然」と考える僕たち国民のうち、どれほどが、死刑とは本当はいかなる刑罰なのか、死刑囚はどのような生活を送 り、何を考え、何ができ、何ができず、最後にどのように刑が執行されるのか、知っているだろうか。
それを知らずして、知ろうともせずして、ただ殺してしまえと叫ぶならば、それは、罪人と猛獣を戦わせ、その死に様に歓声を上げた古代ローマのコロッセオにおける蛮行と、本質において何の変わりがあるだろう。
上に引用した、土本氏へ届いた最後の手紙の末尾の日付の後には、「減燈後」と記されていた。当時は前日に執行が告げられていたため、電灯の明りが減じられた後に独房でしたためたのだろう。
現在、死刑囚には当日の午前8-9時頃に執行が告げられ、すぐその後、午前10時に執行されるという運用がなされている。弁護士はもちろん、肉親にも事前に告知されることはない。長谷川死刑囚のように、最期の手紙を書くことさえできない。