たまに、ネット注文した荷物の緩衝材として、くしゃくしゃにした新聞紙が入っていることがあります。
そんなときは少し嬉しくなり、その新聞紙を広げて読んでみます。
私は新聞をとっていないので、それも小さな楽しみなのです。
本当は普段から新聞を読みたいのですが、定期購入してもとても読み切る時間がないので・・・。
この前買った古本の緩衝材になっていたのは、今年の6月22日の下野新聞の社会面でした。
私は東京住まいなので、こうした地方紙が入っているとさらに嬉しい。
その中に、 「ざわわ」に戦没者の魂 との見出しで、「さとうきび畑」の作詞作曲をした寺島尚彦さんと、その次女でソプラノ歌手の夕紗子さんの記事がありました。
寺島さんは栃木市出身のため、下野新聞で取り上げられたのだと思います。
ざわわ ざわわ ざわわ
で始まる有名な歌です。
初演は1967年といいます。
私自身は、この歌をちゃんと歌ったことはありません。
何となくは耳にしたことがありますが、それでも知っているのは最初のほうの歌詞くらい。
記事によれば、この歌は、1964年に寺島さんが演奏会に参加するために沖縄を訪れた際、関係者に案内されたさとうきび畑で、「この土の中に戦没者の遺骨が埋もれたままになっている」という話を聞いて衝撃を受けたのが、作曲のきっかけとのことです。
改めて歌詞を読んでみると、こんなに悲しく、こんなに厳しい反戦の歌だということを初めて知りました。
歌は11連の部分からなり、全て演奏すると長いため、通常は多くの部分をカットして歌われるとのこと。
私が知っていたのも、ほんの最初の部分だけでした。
後半、「ざわわ・・」のリフレインを挟みながら、このような歌詞が続きます。
知らないはずの父の手に 抱かれた夢を見た
父の声をさがしながら たどる畑の道
このままみどりの波に おぼれてしまいそう
ざわわざわわ ざわわ
忘れられない悲しみが
ざわわざわわ ざわわ
波のように押し寄せる
風よかなしみの歌を 海に返してほしい
ざわわざわわ ざわわ
風に涙は かわいても
ざわわざわわ ざわわ
この悲しみは 消えない
静かに繰り返される風の音が、消えない悲しみそのもののようです。
沖縄の海と空の青さを思うといっそう、戦争の醜さに怒りと嫌悪を感じます。
寺島さんはイラク戦争が始まった2003年の翌年に亡くなりましたが、「あといくつ、戦争を悲しむ歌を書けばいいのだろう」と最期まで口癖のように言われていたそうです。
以下のサイトも参考にさせていただきました。
http://www.moo-azumino.com/main/Nori_diary/2004_3/ryukyushinpo_terashima.htm