著者と高橋源一郎氏の対談が興味深くて、それをきっかけに読みました。
第43回すばる文学賞の受賞作とのことでした。
私は小説にアンテナがないので普段は滅多に読まず、しかも新人の方の本となると、ほとんど触れる機会がありません。
でもこの本はすごくいい作品だと思いました。
いくつも要素があるので感じるところは人によって違うと思います。
私自身が主人公の薫と同じように動揺し、不安になったのは、自分の愛情に自信が持てないその感じでした。
薫は死んだ飼い犬のロクジロウに抱いていたような、確信を持った愛情でパートナー(郁也)を愛せるかどうか、常に不安を感じています。
不安を感じていること自体にまた傷つくというのが、本当にそうだと思いました。
確信というのは理屈で納得するのとは違います。
薫は、本当はたぶん、郁也への気持ちは、ロクジロウへの愛情とは違うことはわかっているのでしょうが、それを認めるのはとても怖いことです。
むかつき、不安、納得できない感じが全体に強いこの作品で、ロクジロウへの気持ちが書かれているところは印象的で、胸を打たれます。
「愛するって、こういうことなんだ、って分かった。ロクジロウはわたしより先に死ぬんだって理解した頃から、分かり始めた。(中略)自分にはなにも返ってこなくていいから、この子にいつもいいものがありますように。気になるにおいのする電柱や、草の間から飛び出してくるバッタ、飛び込みたくなる大きな水たまりのようなものが。どうか、雨の日よりも晴れの日が多くありますように。こわい夢をみませんように。おいしいものが食べられますように。時々わたしのことを考えてくれますように。でも、考えなくても、いいよ。そんな気持ち。」(本書)
ほんとうに、こんなふうにいつも人を愛せたらどんなにいいだろうと、この部分を読むとどうしてだか泣きたくなります。
この物語でつらいのは、薫はそう感じている一方で、郁也の薫に対する愛情は、薫がロクジロウへ抱いていたような愛情だということを、薫自身がわかっていることです。
愛されていることがわかっているのに、同じ重さで相手を愛せないのは、やっぱりつらい。
ロクジロウに対するように愛せないなら、それは本当の愛情ではないのかというと、たぶん、そうではないのだと思います。
でもその形を見つけるのは、すごく難しい。
だからみんな悩んでいるのだと思います、私も含めて。
だから薫には幸せになってほしいと思いました。
著者の、違和感、不安、むかつき、男性とのすれ違いの感情の表現がとても精確で、すごいなと思いました。
哲学科を卒業されたと知って、なんとなく納得しました。
個人的には、出血、排せつ、病気などの言葉を強調して身体を生々しく感じさせられるのはどちらかといえば苦手なのですが、不快ではありませんでした。
題名も、本当にうまいと思いました。
対談によると、『彼の子』、『子供をもらう』、『誰かの子』、『愛』、『お尻が冷たい』なども候補だったらしいですが、断然、『犬のかたちをしているもの』がいいと思います。
今後の作品がとても楽しみです。