言葉には
“裏返し”
が存在する
と思う。

それは、
単なる
反意語
という意味ではなく、

その言葉から視えてくる
裏側の世界だ。


例えば、
「勝つ」と「負ける」。

「勝つ」は、
あくまでも
「“相手を負かす”という表面的な結果」
であり、
裏には
「“負ける”時もある」
「“負け”あってこその勝ち」
と聴こえてくる。


ここで
登場してくるのが、

否定語の
「ない」。


「“負け”ない」
それは
単なる
「勝つ」
ではなく、
「(引き分けになろうが、)
 “ぜってぇ”勝つ」
と伝わってくる。

単なる
「勝つ」
より
重みがある。


「勝たなくてもいい。負けなければいい。」



「北風」と「太陽」。

旅人のコートを脱がすには、

「脱がせる」
ではなく
「なんか着ていられない」



「健康に気をつける」
の裏側には、
「病気を意識してしまっている」


「成功したいと願う」
の裏側には、
「失敗を恐れてしまっている」



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負けの悔しさを知っていればこそ、
勝利に喜び涙することができる

同じように、
死から目を背けていては、
生を実感することはできないであろう

幸福とは、
何であれ今あるものに感謝できることか

簡単なようで難しく
難しいようで簡単

by 井上 雄彦
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ただ、
裏の裏は表。


「こども店長」

裏の裏は、
「大人店長」

ひねり過ぎると
回り回って
原点回帰。



歴史は繰り返す。


流行りは繰り返す。


一昔前の
古着をアレンジして流行るのも
その流れ。

温故知新。


根底には、
いつの時代も
人とは違う
新しいものを
求める
人間の欲
に行き着くか。



私の好きなドラマのひとつである
野島伸司さんの
『世紀末の詩』

その第5話
「車椅子の恋」
のラストシーン

深い。
震える。
泣ける。


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愛していた車椅子の男を疑ってしまい、
女はその男を死に至らしめてしまう。

それが誤解だということを知らずに・・・


その遺体を前に夏夫が言う—


「今思うとしかし、

 愛ってのは信じることですらないのかもしれん。


 愛ってのはただ・・・


 疑わないことだ。」
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kingarden



これだから
“言葉遊び”
はやめられない。

このブログも
つぶやきも、
私にとっては
一種の
“言葉遊び”
だ。