5月7日。私は30歳になる。
自分にとっては大きな節目に感じている30という年齢を迎えるにあたって、自分の人生の振り返りや、今の率直な気持ち、これから先の人生について書いてみようと思う。
さて、何から書こうかな。
まず、やっぱりここ最近のこと。
28歳の10月15日、わたしはLUSH のマネージャー職を捨ててゲストハウスを開業することを決めた。
そしてそのぴったり1年後10月14日にNe doco?はオープンした。
オープンして早7ヶ月。これまで約300人くらいの方が、Ne doco?に泊まりに来てくれた。最近では、会ったことのない方からも、「あぁ、Ne doco?の、、、、。」って認識してもらえる様になった。20歳の時の私にはこの状況は到底想像出来なかったと思う。人生って本当に面白い。
もう一つ予想外の出来事はやっぱりNHK「U-29」への出演だろうか。まさか自分が生きているうちに全国放送の30分番組に出ることになるなんて!ドキュメンタリーの主人公になるなんて!
良くも悪くも、貴重な経験だったし、自分史上の歴史に残る大事件だったと思う。
さて、直近の振り返りはこれくらいにして、なぜ私がこんな人生を選択するようになったのかをこの際綴ってみようと思う。
私のアイデンティティのバックグラウンドには2つの大きな出来事がある。あくまでも自分的観点からだけど。
まず、1つは5歳の頃に患った大病のこと。
「急性骨髄性白血病」もう25年前の出来事だし、幼少の頃だから記憶はほとんどないけれど、間違えなく私の人生を大きく左右する出来事に違いない。
今の医療ではよく分からないけど、当時は本当に重い病気で、しかも突然発病し約1年関係入院した。
記憶に残っているのは悪い思い出ばかりで、めちゃくちゃ不味い薬を毎日飲まされ、図太い注射器を背骨に何度も刺されて、集中治療室にも入った。髪は全て抜けて、身体はガリガリ。
今の私からは到底想像出来ない。
でも、本当に本当に幸運な事に、私は助かった。
骨髄移植を受けることが出来たから。
しかも本当に本当にラッキーなことに兄から移植を受けることができた。移植も成功し、その後再発も一度もなし。我ながら本当に強運だと思う。
でもただ強運なだけではなく、そこには毎日病院に住み込んで看病してくれた母や治療費を懸命に働いて稼いでくれた父、私につきっきりの母の代わりに母親がわりをしてくれた祖母たち、そしてわずが7歳ながら私に骨髄バンクを提供してくれた兄がいたからこそ今わたしはこうして生きていられるのだと思う。日々に追われてこうした感謝の気持ちを忘れそうになるけれど、今のわたしがあるのは間違えなく家族の支えのおかげです。
私が正式に病気のこと、病名のことを知ったのは20歳の誕生日。母からプレゼントと共に、一冊のノートを貰いました。「愛する娘へ。」と書かれたノート。何十ページにもわたる母からの手紙。退院してからも家族の間ではあまり触れられて来なかった私の病気に関する話。私も聞くのが怖くて話すことが出来ていなかった。でも成人になった時にやっと自分の病気について知ることが出来た。ただ、やはり20歳のわたしにはその事実が重すぎて、人にも話せずに自分で抱え込むことになった。
病気は完治したけれど、私にはある後遺症のようなものが残っていた。行ってきた治療により私の身体の女性器官が正常に機能しなくなってしまっていた。退院して現在もなお年に1回は定期検査に行っている。高校生の時に、主治医の先生から「将来的に妊娠することは難しいだろう。」と言われた。昔も今も私が一番尊敬する人は母だ。
いつか自分も母のような母親になることを夢見ていたし、当たり前になれると思っていた。
だから、それを聞いてから私に闇の部分が出来た。毎日毎日考えた。なぜ私が。料理も好き、子供も好き。絶対いい母親になれるはずなのに。子供が産めないなんて女性としては辛すぎる。しかもそれが分かった上で結婚してくれる人なんているわけないと思った。
大学生になって彼氏も出来て、恋愛も楽しめるようになったけど、いつもそのことが頭にあった。
そしてそれもあって心から人を好きになることが怖いと思っていた。
恋愛は大好き。それがあるから勉強や仕事も頑張れるタイプだと思うし、絶対いつかは結婚する!とも、思っていた。20代後半になって周りの友人たちが次々と結婚したり母親になっていく中取り残される私。焦って婚活に走った時期もあった。それはそれで楽しかったけど、「結婚するためにここまでしないといけないのか。」と疑問に思うこともよくあった。出来れば自然な形で出会いたいし、病気や今の身体のことも含めて私の全てを受け入れてくれる人でなければ、、、。と思うとなかなかハードルが高かった。
そして私はもうすぐ結婚する。ギリギリ20代での入籍は間に合わないけど。おかげさまで素敵なパートナーと巡り合うことが出来た。
私は病気になったことに関しては、全然悪いことだとは思っていない。大病になったこと、そしてそれを乗り越えたことには意味があると思うし、神さまが私を生かしたのだから恐らく何かやり残したことがあるのだと。そして人生を死ぬまで楽しんで全うしようと思うようになった。決して後悔しない生き方をしたいと。
2つ目の出来事は大学3年生を休学までして行ったオーストラリアへのワーキングホリデー。
たった半年だったけど、異国で暮らした経験は今でもよく思い出すし、実に貴重な時間だった。見た景色やその時聴いていた音楽、感じた匂いまでもたまにフラッシュバックする。
ワーホリではなぜかたくさんの日本人の友達が出来た。本当は理想的な環境ではないけど、年齢も立場も性別も違う日本人の友達が出来たのは、すごく嬉しかった。海外ではただ国籍が一緒なだけで親近感が湧いた。
あと、他の国の人達の自由さにも衝撃的を受けた。自分を隠さずに自由に発言したり、フレンドリーで陽気だったり、接客が適当だったり、バスが永遠に来なかったり、日本で当たり前のことが海外では当たり前ではないこと。もっと自由でありのままでいいんだと言うことがとても新鮮だったし、私もそうゆう風に生きたいと思った。
帰国してからは何だかんだ日常に戻ってしまった気もするけど、最近よく人から言われる「行動力あるね。自由だね。」っていう私の根本的な性格はここで培われたと思っている。
30年生きてきて実感していることは、なんだかんだ言って私はやりたいことを実現出来ているし、素晴らしい家族や友人や仕事仲間や婚約者に囲まれているし、次の目標もある。何より今を楽しめていると感じている。
5歳で死んでいたかもしれなかった私が今はゲストハウスのオーナーをしている。私の中では本当に奇跡。生きていて良かった。しかも結婚も決まった。占い師の人に予言された2018年に結婚することが出来る。
旦那さんになるクロちゃんはとても大きい人だなぁと思う。2年前までイメージしていた結婚相手とはだいぶ違うけど、今の私にはぴったりの人。
なんというか生きていく力がすごくある人。ゲストハウスを始めなければ、こんな人と関わる機会はきっとなかった。
そして何事にも見返りを求めてしまう、貪欲な私と違って彼は本当に人のために動ける人だとおもう。
そして常に穏やか。私が感情的になっていても彼が一定だから安心出来るのだと思う。
先に書いたように、私が母親になれる可能性は極めて低いけど、彼とならたとえ夫婦2人でも楽しく自由にやっていける気がする。
未来のことはわからないけど。
わたしは自分の目標や思い描いたビジョンを達成するように生きていくのが好き。
せっかくだからこの先10年くらいのビジョンを書いておこうかな。
ゲストハウスをすることは夢だったけど、永遠の仕事にするつもりはない。まだまだやりたいことはたくさんある。
今の計画では、10年は頑張るつもり。
Ne doco?でやりたいこともたくさんあるから。ガレージスナックやお昼寝どこ、ファスティングも有名にしたいし、スタッフも雇いたい、裏には見晴らしのいい、ウッドデッキを作りたいし、薪小屋もいるし。
そんな感じで10年進化させ続けてから、出来れば誰かに引き継ぎたいなぁ。
同時進行で35歳までは妊活を頑張りたい。可能性はゼロじゃないはずだから。それで無理なら子供のいない人生もありかなと。あくまでも現時点では考えている。
40歳を迎えたら、本格的に海外移住を考えたい。
夢ノートにも書いたけど、今のところ第一候補はNZ。勝手な妄想では、クロちゃんにタイニーハウスを作ってもらっておにぎり屋さんを開く。
移動式のやつなら最高。
基本的に1箇所に留まることが苦手な私。変化のある生活が楽しい。だから、あえて拠点を持たない生活も興味がある。
40歳からの10年はまた別の目標が出来てるかもしれないからとりあえずここには書かないでおきます。
さぁ、今日から始まる30代、思いっきり生きるぞ!!
以上!読んで頂いた方、ありがとうございました。こんな私ですが、これからもどうぞよろしく。