寝坊の理由、多いのは?ブログネタ:3月11日のひなた 参加中


3月14日の午後、私は、
外出しようと思っていました。


外出からの帰宅予定時間は、
16時~17時頃。


自分の体調は、
午後からの方がいいので、

いつも通り午後から行動しようと
思っていました。


ところが、この日に限って、

午前中から、銀行に行ったり、
買い物に行ったり、

活発に動いていたんですよね。


そして、お昼ご飯を食べてから、
体調による疲れが出てきたので、

自宅で横になっていました。


その間にいつの間にか、
寝てたみたいなんです。



そして……………


その日、その時間に、
自宅近くの防災無線がなりました

今までに聞いたことがない
大きなサイレンが鳴り響き、


『大きな地震が来ます!
注意して下さい!』


『大きな地震が来ます!!
注意して下さい!!』と、


5回くらい繰り返し防災無線から
大きく聞こえました。


私は、自宅の2階の部屋に
いたのですが、

寝ぼけていたのか、
よく把握できずに、

ボーッとしていました。


すぐに、1階から
母の声がしました。


『大きな地震が来るって!

早く降りて来なさい!!』と。


そして、2階から1階に降りた時

ゆるやかな横揺れが来ました。


その揺れはまるで、
船に乗っているような揺れでした


揺れてから、最初の1分くらいは

軽い横揺れだったから
大した事ないじゃんと思いました



しかし……………


その横揺れは、
どんどん強くなっていき、

何かにつかまらければ、
立っていられない程になりました


私の自宅は、
築30年になりますし、

付近は、地盤がかなり弱いので、

自宅が倒壊するんじゃないか
という恐怖で一杯でした。


その横揺れは、5分くらい
続いたように感じました。


とにかくとても長く感じました。


玄関のドアを全開にして、
恐怖の中、

揺れがおさまるのを待ちました。


揺れがおさまってきた頃、
外に出ました。


近所のオバサンが
お孫さんを連れて外にいました。


あまりに強い揺れにお互いを
かばいあいながら、

オバサンは、ご自宅の車庫に
偶然あったラジオを付けました。


ラジオから聞こえてきたのは、


『東北地方広範囲で、震度6、

強い地域は、震度7』


そして、


『大津波警報』


大津波警報??


こんな言葉は、初めてでした。


ラジオは続きます。


『津波の高さは、
推定10メートル以上』


あまりにも、聞いた事がない
大々的な被害と言葉に

恐怖で一杯になり、
震えが止まりませんでした。


これから私たちどうなるの?


日本は、どうなっちゃうの?


とっさにそう浮かびました。


大地震が来てから、
この時が一番怖かったです。


また、余震が来ました。


恐怖のあまり、
オバサンは、1歳半のお孫さんを

私は、その二人を
抱き合っていました。


母が来ました。


「家の中には、
とりあえず入れるよ」と、

伝えてくれました。


父が自宅に入って
様子を見てくれたそうです。


偶然にもこの日、

父は、自宅の庭工事の為に、
会社を休んでいました。


被災した訳ではないのに、
こんな時に、
家族が揃っていたという事が、

とても心強く感じました。

自宅に入り、テレビを見ました。


この辺りは、
震度5弱?だったそうです。


あんなに揺れたから、
もっと強いように感じましたが。


テレビから流れてきた情報は、
信じられない事ばかりでした。


震度6が、東北ほとんどで、

特に、
大津波警報の地域が格段に広い。


怖かったです。


ウチは、海岸からの直接距離は

10㎞以上はあると思いますが、

自宅近くに川があるので、

川をさかのぼって
津波が来たらというのは
ありました。


その後、山形にいる親戚に
電話したのですが、

電話が全く繋がらない。


関東県内の親戚に電話しても、
全く繋がらない。


メールもダメでした。


しばらく、テレビに釘付けでした


みんな大丈夫かと、心配でした。


とくに、山形の親戚は
どうなったのかと。


地元の海岸近くに住む弟夫婦と
その赤ちゃんは、

家屋と津波による被害は
受けていないかと

気になって連絡しました。


あれから、2時間が経過した時、

地元の弟や知り合いの人たちには

家の電話からなら、
なんとか繋がり、

無事だと確認しあえました。


後に聞いたのですが、

こちらの地元の海岸にも
津波が2メートルくらい
来たらしく、

海岸から船が流れてきたそうです


それでも皆さん、避難されて
無事だと聞きました。


その日の夕方になり、

関東にいる親戚には
家の電話からなら繋がりました。


父は、会社ライフラインの確認を
するべく、

会社に行ったそうですが、
新しい大工場の、壁が剥がれ落ち
床には、ヒビが入り、
足場や作業場が危険な状態の為、

当分、工場での生産はできないと
話していました。


近くのアパートや
マンションにいる人の話では、

上層階に住んでいるほど
天井や壁が剥がれ落ち、

地震当初から今でも、
その中で、生活をしているのだ
そうです。


日付が変わり、3月15日、

山形の従姉妹から無事だと
メールが来ました。

でも電気は、
止まっていたそうです。


その日の夕方になってから、
再度、従姉妹からメールがあり、

3月15日の夕方、
ようやく電気が復旧し、

その後、ようやくまともな食事が
取れたそうです。


山形でも、
大きな地震に余震に停電に、
スゴく恐かったそうです。


今、ひなたが住んでいる所の
情報としては、


スーパーで働いている弟は、

スーパーに勤務して十数年。

スーパーの棚から
これほど商品がなくなったのは、
初めてだと言います。


近くのガソリンスタンドには、
長蛇の列。

1時間待ちだそうです。


私は、地震が発生してからは、
車では外出していません。

近くのガソリンスタンドまで
歩いて様子を見に行った
くらいです。


私の車は、待機しています。


父の会社では、
地震の損傷や計画停電によって、

大工場の心臓部が
止まらないように

父には車がどうしても必要だし、


スーパーで働く弟は、
なくなった商品の補充などで、

10日連続出勤なので、
人手が必要らしいです。


私も当分、自転車で行ける範囲の
外出しか出来ないと思います。


被災された方や
原発で自宅待機された方を思えば

これくらいは、
なんて事ありません。


地震のテレビが気になって
しょうがないし。


何もできない自分は、
もどかしいけれど、


『節電』『節燃料』
『自分自身の健康管理』には

心がけたいと思っております。




長文になりましたが、


今回の、
大地震で被災された方々には、

心からお見舞い申し上げます。







ひなた