心は、真実を裏切る最大の裏切り者なり
多聞することを止めたる時、一なるものを認む。一なるものは、内なる者にして外なる声を殺す
汝の醒めかけたる魂が、世の騒ぎに耳傾け、汝の魂が大なる幻影の吼ゆるに和し、苦悩の涙を見ておののき、悲しみの叫びに耳聾したらんには、汝の魂は、海亀のごとく小我と称す甲の中に縮み込まん。おお弟子よ、心して汝の沈黙せる神に学べ。然らざれば汝の魂は虚廃の宮とならん
第二の世界は情の世界なり。この世界に汝の魂は、生命の花を見出さん。されど其の下には蛇、とぐろを巻けり
不浄の影すらも近づかしむること勿れ。不浄は、生長してその太さと力とを増し、知らぬ間に汝は、暗黒の妖怪に呑みこまれん
過ぎにし経験の一切記憶を殺せ。後をふり向かば滅ぼされん
おお弟子よ。自讚は、白痴が登りたる高塔の如し。白痴は、高塔に登りて一人坐し、得たり賢しとすれど、何人もこれを認むる者なし
沈黙の声 三浦関造訳より
感覚の対象を思う者は対象に執着す。執着より慾望生じ、慾望より怒り生じ、怒りは認識をくらまし、認識くらみて記憶の混乱生じ、記憶の混乱より、理性の喪失来り、理性喪失の結果、人は全く滅亡す
真我は純粋理性
犠牲の精神にて為すに非ざれば、世界は行作によつて縛せらる。故におおクンチーの子よ!執着を棄てて犠牲の行為をなせ
一切万有は、未だ展開されざる我によって貫かる。一切の存在は我に根ざせども、我はそれ等に根ざすに非ず
果しなく動く大気が、エーテルに根ざす如く
刧末に於て一切万有は我が低級力に帰し、刧初に於て我は再び万有を展開す
神酒(ネクター)
我は秘密中の沈黙
智慧は不断の実修に優り、禅定は智慧に優り、行果の放棄は禅定に優る。放棄すれば即時に平和を得
動性と惰性を征服すればリズム支配し、リズムと惰性圧倒されなば動性支配し、リズムと動性窒息すれば惰性恣なり
リズムより智慧生じ、動性より貪慾生れ、惰性より無頓着、困惑、無知生る。リズムに生きる者は向上し、動性的なる者は中間に住し、惰性は極悪なる属性に包まれて墜落す
離慾と離果
至高者の歌(ヴァガヴァド ギータ)より
前田選手は、もし、ど真ん中のストレートで勝負されたら「おれはその程度の選手なのか!」と怒り出すような男で、バッティングをピッチャーとバッターの真剣勝負ととらえているんです。私は、九0年代で最高のバッターだと思っているのですが、一流のピッチャーの難易度の高いボールを全部打つんです。その代わり、レベルの低いピッチャーと対すると簡単に三振して帰っちゃうんです。「つまらない」って
経験は必ずしもプラスにはならない
恥ずかしさを克服するより、最初から「羞恥心」が欠けていた方が強い
美学に逃げ込むと楽なんですね。「これは俺の美学だ」と口にする人間で勝負に強い人は一人もいません。逃げ言葉なんですね
これは将棋自体がもっている特性ですが、自分が悪い手を指すと、その前の局面よりも状況が複雑な局面になるのです。初心者の人は、結構難しい局面をやっていて、間違えてさらに難しい手を指していく‥その繰り返しになりがちです
私にいわせれば、直感も思考です。直感がコンピューテーション(計算)でないということは考えられないです
できる研究者、つまりその人のいうようにするとなぜかできる成功率が高い人というのは、羽生さんがよくいわれる省略のできる人です。どこを端折ればうまくできるかをじょうずに考えられる人なのです
飛車や角などの大駒を一枚損しているほうが有利ということがよくある。なぜなら、その大駒がないおかげで、全部の駒に連携が生まれ、少ないエリアできっちりと守るという状況が展開できることがあるからである。逆に全然効いていないところに駒があるとか、その駒を守るためにたくさんの駒を費やさなくてはならないという状況はよい局面とはいえない。瞬間的な損得よりも駒全体が有機的に機能していることが大切である
簡単に、単純に考える 羽生善治より





