現代に蔓延するは、いわゆる「直線病」なり 







尾道のじいさんが家に入った少年の「泥棒」を追っかけて突発的な死に見舞われたのも、内なる直線に無自覚なるがゆえと思わるるなり







直線は、言わずもがな、「外側」にしか目をやることが出来ない。それは「破壊」と「獲得」の歴史しか導き出すことしかできない。






曲線に至って初めて、己を振り返ることができるし、回り込んで背後から自分の姿を眺めることもできるのである(なぜその必要があるかと申すに、自己認識によってのみ創造主として自分がすべてを産み出していたことに思い当たるからである)。それに正面切ってはなかなか露見しない「闇の勢力の陰謀」も、「横から」なれば、一目瞭然とゆうわけである 







そもそも、大自然界に「直線」とゆう類いのものは存在せず、それらしく見ゆるはすべて「螺旋状の旋回」によって生成したものである。人間ばかりが「真性な直線」を引き得ると錯覚し、現世に歪みを生じさせているのである







おやじにしてもおとうとにしても酒の飲み方、飯の食い方に直線的なものが如実に現れており、そこには「味わい」が乏しい







直線は言わずもがな、善悪、好嫌、正誤、規律、定義、思考停止などに姿を変えて顕現するが、それに追従する限り人は、卑屈と傲慢の行ったり来たりの域を出ない自動人形のままであり、真の謙虚さに至ることはありえないのである







この根本たる人類の罪業に気付いて下され。直線と曲線について今一度、熟考なされよ