、、、ペンパル
あれだけ夢中になっていたにも関わらず
当時から「ペンパル」という言葉に拒否感と言いますか、今聞いてもなかなか慣れないのですが、、、
その上これまた古い言い方ですが、
要は文通友達ですよね。
「文通」を始めたことで私は韓国をもっともっと知ることになりました。
前回のブログに書いたオーストラリア国籍のいとことの交流をきっかけに、急に英語の楽しさに目覚め、いとこが帰国後も英語の授業が楽しみで仕方なくなっていたわけですが、
なんせ学校で学んだ英語を活かせる場所がない
当時からそれが惜しくて惜しくて、、、。
その気持ちから、頻繁にいとこと手紙やFAXのやりとりをしていたのですが、貪欲なことにそれでも物足りない、海外に、特にアメリカに友達が欲しいと思っていました。
映画や音楽の影響です
そんな私に母親はペンパルという、手紙を通じて外国人と交流できるサービスがあることを話してくれました。
それを聞いただけでワクワクしてすぐに申し込みをお願いしました。
母はすぐに行動してくれて翌日くらいには「今日郵便局で払ってきたから」と入会手続きをしてくれました。
母に聞いたら当時のことは全く覚えていないそうただあなたは小学生の頃からずっと海外に強く憧れてたよねと。
確か申し込むことで世界各地にある拠点の会報に自分の住所が掲載されて、それを見た人から手紙が届いて、文通相手になるかどうかは自分で決める、、、というものだったと思います。
申し込んでどのくらい経ってからかは覚えていませんが、同時期にぽつぽつとエアメールが届くようになりました。
学校が終わって家に着くと当時は赤青ラインの封筒が届いていてすごく嬉しかったことを覚えています。
ところが、差出名に「KOREA」と書いてあるものばかりが届くので、、、
正直に書くと、、、当時14歳の私はちょっと残念だった気持ちがどこかありました。
ごめんなさい🙏
私は英語圏、、、特にアメリカに興味があったので、KOREAはイマイチわからないけど
近い国で日本人と見た目が似ているイメージでなんだか面白みがなく感じたのです。
最初返事をするかどうか悩んで、しばらく置いておいたのですが
韓国からの手紙は全て、みんな律儀で礼儀ただしく、まだ返事が来るともわからない相手にちゃんと自分の写真を添えて手紙を送ってきてくれていました。
そして自己紹介の内容が長くて、初回の手紙だけでも相手がどんな人か見える内容であることに気づいて、1番初めに届いた同学年の男の子と、もう1人ひらがなを見様見真似で少し書いてくれていた同学年の女の子に返事を書くことに決めました。
この2人の韓国人との出会いがきっかけで私は韓国に夢中になり毎日韓国のことで頭がいっぱい、人生が濃〜くなりました。
隣の国と言いつつ全く違う、すごく新鮮で魅力的で韓国のことを考えるだけで充実感を感じる程でした。
きっとそれは2人の子もおんなじだったので
かなりのハイペースで手紙のやり取りをしていたと思います。
私は経済的に裕福でない家庭でしたが
振り返ると本当にやりたいことを目一杯させてくれた両親に感謝の思いです。
そう。結局憧れのアメリカからは手紙が届くことはなく、ヨーロッパ圏から来た中で、何きっかけだったかオーストリアの子を選んでお互いマイペースに高校卒業くらいまで続いていた気がします。
文通を始めてあんなに充実した時間を過ごしていたけど大人になるにつれ私がマメでなくなったが故に今では当時のペンパルの誰とも繋がっていないことが悔やまれます