今でも深い付き合いのあるSちゃん。
小学4年生の時にクラスにやってきた転校生でした。
担任の先生からどう紹介があったかは覚えていませんが、
初めて聞く一文字の苗字でした。
転校生というと、来てすぐの頃は何もしないでも目立つと思うのですが
Sちゃんはその苗字からすぐにからかわれていた記憶です。
放課中、私は仲のいい子とよく廊下や外で活発に遊んでいたのですが
ある時、Sちゃんがいつも読書をして1人で過ごしていることに気付いて声をかけました。
Sちゃん曰く、私は「何を読んでいるの?」と話しかけたそうです。
そこからいろいろと話すようになり、
通学団は違うけど同じ町内に住んでいることが分かり
一緒に帰るようになりました。
三人姉妹の長女で、次女ちゃんも一緒に転校してきていること、(末っ子ちゃんは保育園)
在日朝鮮人で韓国語が話せること、
転校前は1時間以上かけて電車とバスで朝鮮学校に通っていた事、
両親は喫茶店をやっていること などなど
いろいろ話して(私が根掘り葉掘り聞いたのかな?)あっという間に仲良くなりました。
当時私は韓国と聞いても何も思わなかった(なにもピンとこない、知らなかった)ので、
シンプルに気が合ったんだと思います。
他の話や遊びに夢中で韓国の話題は自己紹介の最初だけでその後は特別意識することもなかったと思います。
それから私が元々仲良くしていた友達交え4人で仲良くしていたのですが、
Sちゃんは私たちの前以外では寡黙でいつでもしっかりした印象、まじめでいた記憶です。
その後、同じクラスになることはなく、中学3年間もクラスが別でしたが
ほとんど毎日一緒に登下校し、同じ吹奏楽部で似たような部類の楽器を担当していました。
私は陸上部と最後まで悩んだのですが、
吹奏楽入部の決め手は先輩たちが演奏していた「アリラン」に
「かっこいい!かっこいい!」と大興奮したことです。
(コンクールで金賞だったかとっていました)
その時はまだ「アリラン」が朝鮮民謡とは知りませんでしたが
よろしければyoutubeで是非検索してみてください
クライマックスは特におすすめです!
「朝鮮民謡の主題による変奏曲 / J.B.Chance」
(そう!逸れますが、私が今勤める会社の直々の上司の叔父が私が当時吹奏楽入部を決めたきっかけになった「朝鮮民謡の主題による変奏曲」を選曲(すごいセンス!)・指揮をしていた部活顧問(恩師)だという事を知り鳥肌が立つという出来事もありました
私の上司も学生時代吹奏楽部だったそうで、上司との話の流れで私が中学時代に部活で聞いたアリランをもう一度聞きたいけど探しても見つからない。曲名を知りたいとずっと思ってるという話をしたところ意外な経路であっさり解決したのでした)
Sちゃんは小学校の頃と違って部活動でたくさんの友達ができて
皆の前でもよくしゃべるし笑うし、楽しそうにしていました
この辺りから私は私で別のルートで韓国との縁があり、
少しですがSちゃんとも韓国の話をするようになりました。
Sちゃんは成績優秀だったので、高校は別でした
大学も県外の国立大学で、頑張っていました。
確かSちゃんが大学に通っている間に私は1回目の韓国留学に行ったんだと思います。
帰国後だったか、一度大学まで会いに行きましたが、アパートには必要最低限の物しかなく、
以前から贅沢は一切しないSちゃんらしいなと微笑ましく、勉強を頑張っている様子が伝わりました
そして、小学校に転校してきてから韓国語を話さない生活になり忘れてしまったという理由や
タイミングやチャンスがあり、ソウルに1年交換留学をしています
ソウルに会いに行ったときは、人混みの中すぐに私に気付いてくれ
遠くから満面の笑みで走ってきてすごい勢いで抱きつかれ、
全身で喜んでくれたのを今でもよく覚えています。
大学の卒業式では韓服を着た写真を見せてくれ
かっこいい!!とSちゃんの強さを見た時でもありました。
何目線なのか誇らしい気持ちになりました笑
Sちゃんは成人式でも韓服を着ていて、ほんとーーに美しくてかっこよかったです!
たくさんの同級生に声を掛けられて写真を撮っていました
Sちゃんが就職して転勤で一人暮らしになった時も会いに行き、
毎日忙しく頑張っていることを聞きました。
そのあとすぐに「会いに来てくれて嬉しかった」とハガキを送ってきてくれた時は
ハガキってこんなに嬉しい気持ちにさせてくれるんだと知り、
それから私も機会がある時は書くようにしています。
会いに行くのは、単にSちゃんに会いたい気持ちもそうですが、
理由は分からないけど気がかりな感覚がずっとありました。
それから随分経ってから別の同級生経由で
Sちゃんが「私は小、中学といじめられていた。ぱーこに話しかけられなかったら友達は1人もいなくてあの時から人生が変わった」と話していたことを聞き、ショックを受けました。
時に守ったりしていたような記憶がうっすらありますが、当時の私はいじめという感覚までではなかったような記憶だったからです。
大人になっていたから言えることですが
からかいを重く捉えていなかった自分の至らなさ、鈍感さ、
寄り添い出来ていなかったことの後悔、
視野が狭く細部まで気づいてあげれていなかったことへの自分の情けなさ、
そして、これまで私にはその話をしなかったSちゃんの心境を考えると今思い出しても胸が苦しくなります。
私が後悔したとしても当時の私自身を思うと
やっぱり"私"というレベルなのですが、、、
情けなさでため息です。
学生時代だけでなく、就職活動ではその苗字からとても苦労していて、
唯一内定をくれた会社に恩があるから辛いことがあっても続けている、と知ったのもこの時でした。
付き合いが長くていろいろ話していると思っていたけど
肝心な部分が抜けていたと知り、いろいろな思いから泣くことしかできませんでした。
わがままで自由気ままな私とずっと一緒にいてくれるSちゃんに甘えていて、私こそ感謝するべきであることにも気づかされました。
そんな私は今になってもSちゃんの立場を分かったようなことは言えないのですが、
国籍でここまで人生に影響が出るかと、よくも知らない私でも当時悔しくいたたまれない思いでした。
理由は分からないけどずっと気がかりだったのはそういうところだったのかなとも思います。
Sちゃんは小学生で既にすごく逞しくて、辛抱強くて、正義感が強くて、
でもそれにはきっと理由があってのことでずっと自分・姉妹・家族を守ってきたんだろうと思います。
そんな彼女は職場で全部を理解し、受け入れてくれる方と出会い、
結婚を機に家族で帰化しました。
(ここでもSちゃん、Sちゃんの家族、歴史諸々を考えると当時いろいろな感情がわいたのですが、割愛します)
今は我が家と一緒、男の子2人のママです!
少し離れたところに住んでいますが
私の結婚を機に集まった小学校からの同級生2人含め、4人で年に1,2回は集まっています
好みも服装も様々ですが、大人になってから集まったこのメンバーと話す時間が最高に居心地良くて!話が通じるといいますか。
(小学生時代に仲良くしていた4人組メンバーではないのです)
Sちゃんは私が韓国留学に至るまでに直接的には関係があるわけではないのですが、
存在も影響力も大きいSちゃんが、
私にとって一番最初の韓国とのつながりになります。
今でも気が合うSちゃん、久しぶりに連絡してみようと思います
우리 언제 만날까~??
いつ会おうかな、、、
あ、そういえばSちゃんと韓国語で会話したこと、、、ないです
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