猫に牡丹

猫に牡丹

心を歩く

~内在している自分らしさとの
 出会いとともに
 人生の足取りを
 軽やかに
 しなやかに~

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心を歩く

【猫に牡丹】

     

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【親に恥をかかせてはいけない 
親が笑われるようなことをしてはいけない】

 

 
「親に恥をかかせるな」「親が笑われる」
というような言葉を
子供時代に
聞いたことの”ない”人はいらっしゃるでしょうか
 
 
たとえ
「イイ子」を頑張りすぎるくらいの
子供に対しても
口にする親はいます
 

この言葉は
子供に対する注意や
子供に対する教育や
子供に対する愛では
もちろん…
ありません
 
これを聞いたほとんどの子供は
自分を否定された気持ちになります
 
ありのままの自分では
親が恥をかいてしまうような人間なのだ、
思い込みます
 
 
しかし
このセリフは
子供は一切関係のないところ、
=親の課題、
から出るセリフです
 
 
親自身の課題が解決していない場合
あるいは
親が発達グレー(※)な場合でも
出てくるセリフだと
私は考えます
 
 
そもそも
親自身が
「自分が課題を抱えている」とは
まったく思って”いない”場合が
多くあります
 
 
何らかの症状が出るか
あるいは出たとしても
肉体的症状であった場合は
身体の不調だけ、だと
本人は受取るし
 
日常生活にさほど支障がなく
日々
「昨日とあまり変わらない今日」を
過ごせていれば
課題があるなどとは思いもしません
 
あるいはそれを
認めたくないという
不安もあるかもしれません
 
また
発達グレーであった場合は
課題があろうとなかろうと
 
「親に恥をかかせるな」と言われた側の気持ちを
想像することが難しいわけです
(ADHD傾向の場合)
 
「恥をかきたくない」という不安は
発達グレーの特性からくるものとも
考えられます
(あるいはASD傾向)
 
 
 
「親の課題である」ということが分かるセリフは
他にもたくさんあります
 
自分が子供時代に言われて傷付いた言葉を
今、思い出すことが出来たとしたら
辛くないようであれば
少し思い出してみて下さい
 
 
その言葉を
大人になった自分が聞いても
傷付くでしょうか
不快に感じるでしょうか
 
 
もし不快で不安になったとしても
それは
「親自身が持っている課題」からこそ
生まれた言葉です
 
あなたは
関係ありません
 
 
かといって
親が悪い、
というわけでも
 
実は
 
もちろん
 
ありません
 
 
 
 
私達はみな
 
 
両親から生まれてきます
 
 
親もまた
その親から
 
 
解決していない課題を持つ更に親から
心無い言葉に傷付きます
 
 
大人になってまで
傷付きたくない、
恥ずかしい、と思いたくない、
いう思いから
 
その言葉を
あなたに投げたのかもしれません
 
 
 
課題はみな、
持っています
 
 
ひとつの人生で
課題をすべてクリアすることなんて
不可能です
 
 
ただ
「私には課題がある」
と自覚しているかどうかが
とても大切ではないでしょうか
 
 
「課題」とはなにか?
と思われるかもしれませんが
 
 
「私には問題がある」
ではなく
「私には課題がある」
という表現をしていることから
 
「課題」とは…を
想像しやすいと思います
 
 
 
 
ひとと違うこと
 
それは
人間には多様性があることの
証拠でしかありません
 
 
違うからこそ
その人それぞれの
人生の課題が違います
 
 
 
(※)発達グレーという表現を
今回あえて使いましたが
人間を(人間以外もですが)
なにかの指標で分類するときに
白か黒か
どちらかだけに必ず属させる、
ということは
できません
 
ほとんどの人が
「グレー」です
 
 
「グレー」の濃さが違うからこその
課題がそこにはまたあります
 
 
いうことは
 
やはり
 
私達全員それぞれ
課題があるわけです
 
 
そのことの自覚があることで
 
子供に、だけでなく
自分以外の他者に対して
 
愛を止めずに関わることが
出来るのではないでしょうか
 
 
自分だけでなく
自分以外のすべての人も
課題に取り組んでいる、
愛おしい仲間です
 
 
不安にならないで
 
 
大丈夫
 
 
 
優しいあなたへ
 
 
 
 
クローバー
 
 
 
親を憎んでしまう時
親もまた傷付いた子供であったことまで
想像する事は難しいけれど
親もまた
課題に取り組んでいる途中の
あなたの仲間、というわけです
かといって
許さなければいけないわけではありません
それもまたあなたの課題ですから。
 
一緒に学んでいきましょう
 
この記事を読んでくださっているあなたは
本当はもう
次の課題へ進もうと
しているところなのかもしれないですし
 

 

 

 

 

    

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心の譜面に寄り添う

【猫に牡丹】

     

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【受容への五段階 キューブラー=ロス】

 

 
今回は、死の受容への五段階のお話です
 

タイトルには「受容への五段階」と書きましたが

エリザベス=キューブラー=ロス(アメリカ)は
著書「死ぬ瞬間」の中で
"死"の
受容過程を五段階モデルにて
提唱しています
 
(看護師国家試験にも出題されていました)
 
 
「生」とは
死へ向かって生きることであるわけなので

あえて今回

タイトルからは「死」の言葉は除きました

 
そしてこの受容の過程は
毎日の暮らしの様々な局面で
起こっていることだと
考えます
 
ある人は
”睡眠”は臨死体験である、
とも言っています
 
そう考えると
私達は毎日
臨死体験をしている、わけです
 
 
ここで

その五段階モデルを

一つ一つ取り上げてみます

 

(「死」の文言が入ってきます

少し読んで辛くなった方は

飛ばして下さいね)

 
 

第一段階=否認
   自分が死ぬということは嘘ではないかと
疑う段階
 
第二段階=怒り
   なぜ、自分が死ななければならないのかという怒りを
周囲に向ける段階
 
第三段階=取引
何とか死なずにすむように
取引をしようと試みる段階、
  何かにすがろうという心理状態。
 
第四段階=抑うつ
何にもできなくなる段階
 
第五段階=受容
最終的に自分が死に行くことを
受け入れる段階
 
 

今回のタイトルから一部省いたとしても

やはり

”死”の受容五段階モデル、

ですから

重く感じる方は多かったのではないでしょうか

 
 
 
それというのも
現代社会では「死」が
あまりにもとても遠くにあるものに
なっているため、と考えます
 
 
寿命が伸びたこと
(西洋医学の治療によって生かされてる)
核家族が増えたこと
(年齢順に訪れる死に立ち会いにくい)
土がコンクリートで覆い隠されていること
(↑身近な自然のサイクル=生態系が見えづらい)
 
これらによって
 
若い世代にとって
老いや死は
とても遠いところ、
にあるように思います
 
もちろんそれは
突然やってくるものではありませんが
身近で老いや死というものを
自然に見て育つのと
ほぼ触れることなく育つのとでは
 
自分自身の
老いや死を直面した時に
 
心と身体との向き合い方が
大きく変わります
 
 

…その準備のようなものとして

「更年期」があると
私は考えます
 
(犬猫にも更年期があるといわれます)
 
そして今私自身が
その「更年期」の時を迎えている、
という事もあり
今回この内容を取り上げています
 
 
 
現代社会は
以下のような状態です
 
 
アスファルトやコンクリートで
地球の自然な姿が見えなくなっている状態
 
賞味期限が長く見栄え良くするための
食品添加物が大量に使われている状態
 
快適さや便利さや効率を求めた結果
人間の生の延長線上にある、死ですら
見えなくしている状態
 
 
この夏、酷暑であったことも
出生率が下がっていることも
 
これらと
関係ない事のように見えて
どれも実は繋がっています
 
その他、今あなたに思い浮かんだその事も
どれも実は繋がっています
 
 
そういう意味で
私達はみんな繋がっています
犬猫ももちろん、繋がっています
 
 

現代社会が どれだけ
死というものに 蓋をして隠しても
命あるもの、いつかは訪れる「死」について
日常の場面場面で
向き合ってこそ
生きている今に深みが生まれる、
そんな風に意識することから
始めるのが良いと
私は考えます
 
 
前述の、受容への五段階の
「内容」だけを取り上げると
日常に溢れている、私達の感情や行動です
 
第一段階=否認
第二段階=怒り
第三段階=取引
 第四段階=抑うつ
第五段階=受容
 
 
私達の人生は
決して「死」が
目標なわけでも
ゴールなわけでもありません
 
あくまでも
日常、この毎日の暮らしこそが
生きている意味、価値、理由、です
 
 
否認も怒りも取引も抑うつも、そして受容も
日々
たっぷり味わいませんか
 
 
決して、
死の直前”だけ”に訪れる五段階では
ありません
 
 
ではまず
何をすればよいのでしょうか
 
 
◯しっかり睡眠(毎日の臨死体験を味わう)
◯自然のサイクルと触れ合う
◯自分の心と体に向き合う
 
まずはこの3つだと考えます
 
この先のことは
その後に
その人それぞれに必要なものが
自然と課題として現れてきます
                                     
 
 
 
クローバー
 
 
 
健康や病気や死について考え始めるとき
どんな人にも
そのキッカケがあります
 
 
自分の発病
家族の発病
ペットの発病
家族の死
ペットの死
読んだ本
学びの中
人それぞれです
 
 
 
今日のこのブログが
ぼんやりしたキッカケになったり
 
あるいは悩みの渦中に在るなら

このブログからヒントの欠片を

好きなように拾ったり

 

今日はただスルーするだけでも

心の隅に落ちた小石の重みを

いつか感じて

その時の何かになったり

 

そんなことに繋がっていったらいいなと

このような記事をいつも書いています

 

どんなことも

私達は繋がっているのですから

 

 

 

    

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【標準化と平準化と平等】

 

 

平準化・・・数値化出来るものに対して。

凹凸したものを均して平らにする。

(作業量を均等にする)

 

標準化・・・規格化出来るものに対して。

飛び出したものを削り取る。

       (誰でも同じ成果を出せる。品質を均一にする。)

         ※経済学のゲーム理論の協力ゲームにおける解の概念と近い

 

 

これらは

現代の日本人が

効率的かつ均一化された

諸サービスを提供する上で

当たり前になっている

 

提供される側も

刷り込まれる

 

この方針は

世界大戦と切っても切り離せない

 

いくらでも代わりがきく人間(兵隊)を

金太郎飴のように

教育していく必要があり

 

標準化された人間の

大量生産というイメージ

を浮かべることが出来る

 

そのずっと以前は

身分制度に苦しめられた時代もあったわけだが

 

平等という言葉と引き換えにして

 

今度は標準化される苦しみを味わう時代を迎えた

 

今は

多様性をインクルージョン(包括)する時代へ

 

個々が尊重され能力を発揮し活躍できているという時代へ

 

 

平準化された作業量を

時間内に

標準化ルールに則って

こなせる人間

が多く必要な時代は

もう終わっている

 

 

 

時代は変わってゆくスピードと

私達個人個人の変化のスピードが

同じとは限らない

 

 

しかし

時代とはずっとこの繰り返し

 

人間には「生き残り」「子孫を残し」「繋げてゆく」

という動物としての使命がある

 

全ての役割を一人ひとりが

これらを一括しておこなうばかりではなく

ただ生き残ること

ただ子孫を残すこと

ただ次の世代へ繋げてゆくこと

それぞれは別のものでよい

 

複数の人間達で

大きなことをやり遂げればいい

 

 

時代の変化の大きな渦を

経験出来るのは

過去を見渡しても分かるように

数えるくらいだ

 

私達はそれを味わっている

 

それぞれの世代で

それぞれの国で

それぞでの地域で

味わい方感じ方は違えども

 

そのことこそが

 

動物としての使命の役割分担ともいえる

 

 

変化を楽しんだもの”勝ち”、

という言い方はやめよう

 

変化を楽しんだもの”価値”、

と書くのはどうだろう

 

変化を楽しむことこそに価値がある

 

 

そこに基準はない

 

誰ともどことも比べない、

個々の中にある「価値」こそ全て

 

過去の自分とも比べない

 

 

 

平等とはなにか

 

 

自分が自分を等しく扱うこと

 

過去の自分も

今の自分も

未来の自分も

 

等しく扱うこと

 

 

自分の中に存在する

多種多様な性格の一つ一つを

平等に扱うこと

 

 

まずはそこが始まりではないかと考える

 

その先にやっと

他者や

社会との

関わりにおいて

 

ニューロダイバーシティも

インクルージョンも

存在するのではないだろうか

 

 

まずはここから

まずは個々から

 
 
 
 
クローバー
 
 
 
研修や講座や個人的な読書などから
思うことがありました
 
思い考えたことは
個人的すぎたのですが
そこから出発して
「標準化」「平準化」「平等」と
「今という時代」
というワードがひっかかり
思うことを書いてみました
 
考える私は
理想的なことを書いてしまいがちですが
現実の私は
その半分すら
出来ていない私です
 
器用でないからこそ
まずは考えてみるのが
私らしさです
 
 
私のコンプレックスのお話なども踏まえた、
記事も書いていきたいなと
下書きはしています
 
マイペースで書いていきたいと思います
 
お立ち寄りくださり
ありがとうございました

 

 

    

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